伊波敏男さん「当時、ライ予防法という法律があって、ハンセン病を発病した人たちは法律に従って、強制的に特別の場所に閉じ込められ、一生涯、ここから一歩外には出られない」
現在、長野県に住む伊波敏男さんは67歳。旧石川市出身の伊波さんは中学2年生のときにハンセン病を発症し、名護市の沖縄愛楽園に強制的に収容されました。
療養所で中学卒業を迎えることになった伊波さん。しかしそこで暮らす大人たちを見て将来への希望がないことに不安を感じ、高校のある岡山の療養所に入るため本土へ逃げ出すことを決意します。
当時はアメリカ軍統治下で、ハンセン病回復者が園を出て本土に渡ることは命がけでした。
伊波さん「早く逃げ出す方法、簡単なことは社会復帰することだけど、自分の当時の病状からいくと社会復帰は叶わない。そうすると次のベターな選択として大和に逃げる、大和に行って何をするかというと高等学校で学ぶ、こういうことが一つ一つ整理をされてきたことだと思います」
岡山の療養所に入った伊波さんは社会復帰を果たしたあと、自らハンセン病回復者を名乗り偏見や差別と闘い続けました。
ハンセン病は戦後、薬で完全に治る病気になったにもかかわらず「らい予防法」によって、ハンセン病回復者の隔離政策は続けられ、社会の偏見と差別が助長されてきました。
この偏見と差別をなくそうと、伊波さんは子どもたちに15年前にらい予防法が廃止されて以降も子どもたち相手に講演会を続けてきました。
伊波さん「ハンセン病の問題はやっぱりこの社会、日本で問題になっている基本は『事実を知らない』ということ。もう一つは『正しく伝えられていない』ということ。言葉で言うと『偏見』なんだね」
子どもたちの白いキャンパスに絵を描くように、ハンセン病に対する正しい知識を伝える。これが子どもたちを相手に講演会を続けている理由です。
男子生徒「伊波さんは病気にかかって家族を恨んだことありますか」
伊波さん「ありません。ハンセン病の問題で回復者が今でもずっと悩み続けることは、家族の問題です。今、よく嘆きを聞くと『一番理解して欲しい家族が理解してくれない』。本当はその人たちが理解できないんじゃなく、社会のいろいろな偏見があまりに押しつぶされているものだから理解しようとしても受け入れきれない」
伊波さんが受けた耐え難い経験。中学生たちは、その柔らかな感性でその事を受け止め、考えていました。
女子生徒「(ハンセン病について)正直私に関係ないし、今はもう治っているし『どうだっていいじゃん』って正直思っていました」
男子生徒「ハンセン病にかかって人が差別とかするじゃないですか。そういうのは本当にしちゃいけないことだし、いろんな人になんか伝えてそういう思いを伝えていきたいと思いました」
らい予防法が廃止されてことしの4月で丸15年。しかし、ハンセン病に対する社会の偏見と差別はまだ根強く残っていると伊波さんは訴えます。
伊波さん「この子たちが大人になったとき、いま話しを聞いて、どういう風に自分の心の引き出しのなかから出して、自分の前に立ちあがった問題に立ち向かうかということを思いながらしゃべっている」
次の時代を担う子どもたちに正しい知識をしっかり伝え、少しでも偏見や差別を正していくことが伊波さんの願いです。