※ 著作権や肖像権などの都合により、全体または一部を配信できない場合があります。
10-11-15-1945-01.jpg

65年前のきょう、当時の中城村の人々は収容所から故郷へと戻ります。中城村の住民は戦中からアメリカ軍上陸の直後に村内の島袋収容所を中心に村外の収容所などに分散して収容されていました。

多くの住民の帰郷の願いがようやく叶ったのが65年前のきょう。中城の住民たちの移動が最初に許可されたのは安谷屋地区でした。キカクヤーが建てられ、次第に活気を取り戻し始めた安谷屋地区には、移動から3週間後に初等学校が開校。その翌年、喜舎場にあった国民学校の跡地に北中城初等学校が誕生しました。

10-11-15-1945-02.jpg

しかし中城村には、その後中央にアメリカ軍用地がおかれ、南部と北部に分断されたため1946年に分村、北中城村が発足します。