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親を失った子どもたちが預けられたコザの孤児院。65年前のこの頃、そこで暮らした少年は、先生の深い愛情に母のぬくもりを感じていました。
戦後65年目にして初めて行われたコザ孤児院の慰霊祭。当時の先生たちやそこで暮らした子どもたちおよそ60人が集まり、孤児院で亡くなった人たちを悼みました。
仲里まさえ先生「夜になるとシクシク泣くのよね。先生もあんたがたと一緒よ家族もどこにいるか分らないし一緒に頑張ろうねって。」
子どもたちが悲しまないようにあの手この手で励ましてきた仲里先生。「いつもね歌で朝コケコッコー夜が明けたと歌で起こしたの。」
先生のことを鮮明に覚えていた宮城定吉さんは、65年前のこの頃のことをこう振り返りました。
宮城さん「僕ら5年生ですからあの人は5年の担任だったんです。仲里先生が毎朝、おや!まだ眠いかねハーモニカを吹いて私たちを起こしてくれて朝から晩まで一緒に遊んでくれました。」
親や兄弟を失った宮城さんにとって仲里先生のぬくもりは、母のようだったと話します。宮城さんは、11月28日に育ててくれる人が現われ孤児院をでることになります。
宮城さん「仲里先生には別れるときにあの先生は非常に情が深いものですから自分の髪を切ってこれを形見だということでくださいました。」