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終戦直後、日本軍の爆弾などが各地で海中に投棄されましたが、当時16歳の少年もその作業に携わっていました。
手登根恵貴さん「下崎という、この辺りの場所に弾はみんな落とされているわけです」
手登根さんは当時16歳。宮古島で父親とともに船乗りをしていました。10月に入った頃、武装解除した日本軍の鉄砲や爆弾を舟で運び、平良港の沖合に投棄する作業を命じられました。
手登根さん「手で測って深さを調べているから、深いところに落としなさいという軍の命令もあったかも知れないが、この辺りが一番深いところということで」
今月13日、平良港で大量の不発弾が処理されました。沖縄本島に移り住んだ手登根さんは長年、投棄した爆弾の行方を気にかかっていたと言います。
手登根さん「いずれどこかで大きな事件がまた待っているという、待ち構えているのと一緒だから、これだけは早く日本政府にお願いして、一日も早く処理しないと」