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八重山でも着々と武装解除は進み、物々しい兵器が処分されましたが、島は戦火とは別の恐怖に苦しめられていました。
8月29日、石垣島では日本とアメリカの会議が開かれ八重山の武装解除が始まりました。八重山の武装解除は、宮崎旅団長の指揮の下、大きな混乱もなく自主的に行われ、比較的順調に進められました。
65年前の今日もアメリカ軍が上陸し、日本軍の軍事施設の処理を行ったという記録もあります。石垣港に集められた日本軍の武器は、竹富島近海の海中に投棄されたと言われています。
兵器が処理され、島は平穏な生活へと歩み始めているように見えますが、八重山の住民はその頃、飢えやマラリアという恐ろしい疫病に襲われ、平和な日々とはまだまだ遠くかけ離れた状態でした。