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65年前のこのころ、収容所の住民はアメリカ軍からの配給で命をつないでいました。

配給所で列を作る住民たち。65年前のこのころ、各地に設置された収容所の住民には、アメリカ軍から必要最小限の食糧が与えられていました。初めて口にするものもありましたが、食糧が乏しい中、皆むさぼるように食べたといいます。

琉球大学の川平成雄教授の研究によると、配給量はアメリカ政府によって定められていましたが(1日1人あたり1530キロカロリー相当)、その分配は早い者勝ちだったため、収容所ごとの分配量は公平ではなく、住民ひとりひとりが受け取る量も均等ではなかったといいます。

このようなこともあり、戦争には生き残っても、十分な食事をとることができず、栄養失調や病気になったり、戦争で負ったケガが治らずに死んでいく住民がたくさんいたのでした。