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南部で母を亡くし父親と生き別れた少年は収容所で軍作業に従事していました。
玉那覇盛章さんは南部の激戦地を逃げ惑った末、海岸にいるところを捕虜として連行されました。父とは別々の収容所に連行され、民間人だと訴える玉那覇さんをアメリカ兵は信じませんでした。
玉那覇盛章さん「お前、嘘言うたらすぐ銃殺だよ、はっきり言いなさいと言うんだけど、いや本当ですと言うと『あっそうか』と言って『じゃ、お前は民間の所へ行きなさいと』と。この近くに民間の収容所があったわけ、こっちに行かされて、兵隊たちは全部屋嘉に入れられたわけ」
9月に入り、生き別れた父はすでに亡くなっているとあきらめていた玉那覇さんに、知り合いが声をかけました
玉那覇さん「あなたの親父は石川の何区にいるよって言うもんだから。じゃあ、明後日、石川の浜で再会するから呼んでちょうだいと私が言うたわけ」
玉那覇さん「(Q:何ヶ月かぶりに会えた気落ちを覚えていますか?)今から考えると、お父さんよく生きていたね、それしか言えないですよ」
出征した兄弟たちを失い、目の前で母を亡くした玉那覇さんは、当時、感情が消えていたと言います。あまりにも辛い体験だったため、子や孫に語れなかった玉那覇さん、戦後65年を機に戦世を伝えていこうと考えています。