※ 著作権や肖像権などの都合により、全体または一部を配信できない場合があります。
10-08-17-1945.jpg

沖縄近海で多くの若い命が散った特攻作戦は日本の敗戦後、最後の犠牲者を出して終わりました。

海軍中将、宇垣纏。太平洋戦争開戦時は連合艦隊の参謀長で、沖縄戦では4月から展開された特攻作戦、菊水作戦を指揮しました。終戦までに、沖縄近海で合わせて特攻機1800機以上特攻隊員3000人以上の犠牲を出した菊水作戦。

8月15日正午の玉音放送後、作戦を指揮した宇垣は、11機の特攻機を準備するよう指示。特攻機の前で笑顔で最後の記念撮影に臨む宇垣。その後、自ら特攻機に乗り込み、部下を含めた、11機22人は夕方、大分基地から沖縄に向け飛び立ちました。

宇垣の乗った特攻機は伊平屋島の海岸に突っ込んだとされています。これが最後の特攻隊でした。