夏、沖縄の各村で見られる旗頭。高さおよそ8メートル、重さ50キロ。黒装束をまとった、はたもちが代わる代わる勇壮に揺らします。
村の綱引きの応援旗が起源といわれる旗頭。神が宿っているとされ、古くから村の守り神、シンボルとして崇められてきました。この夏、旗頭を、次の世代に伝えようと動き出した男たちがいます。
琉球旗頭会・森山正三会長「これまでは地域単位でしか活動がなく、隣村との交流とか、そういうつながりがなく、なかなか後継者が育たないっていう現状があった。それをどうにかしないといけないと」
こうして発足したのが琉球旗頭会。那覇市周辺の青年会から、およそ20人が参加ました。その中に2人の中学生の姿があります。
上原基幹君と仲間駿君、同じ中学校の2年生。上原君は小学生時代から旗頭を始め、仲間君は初めて旗頭を経験します。
上原基幹君「中学校より大きい旗頭を持って見たいと思ったからです」
仲間駿君「重そうだけど、リズムにのって屈伸しているのがかっこいい」
琉球旗頭会の目的の一つは、旗頭の県外へのPR。東京で開かれる新宿エイサーまつりが、初の舞台となりました。
旗頭の難しさは、重さとバランス。風を読み、旗頭をうまく風にのせることがポイントです。
上原君、自分の体重以上の旗頭を支えます。大人用の旗頭は、子ども用の倍近くの重さです。持ち終わった後、全身で呼吸をします。初めて挑戦する仲間君も、練習では終始緊張しています。
「もっと起こして、もっと起こして!後ろ!」
仲間君「風に任す部分と、自分で持つ部分の力の加減が難しかったです」
練習は平日の毎晩、行われました。
琉球旗頭会にとっても、中学生の2人にとっても初舞台のこの日。まつりが始まりました。旗頭はエイサー演舞の合間に行われます。次々に、はたもちが入れ代ります。
早速、上原君の番がやってきました。旗頭を必死に抱えます。しかし、倒れないよう周囲から支えられます。そして仲間君。安定しています。周囲のの支えは、もはや、ありません。
仲間君「自分でもびっくりしてて、ちょっと舞い上がっていました」
初めての大舞台で、いきなりの成功です。
この日、沿道に訪れた観客は、およそ100万人。新宿の街に、ボラと、鐘の音が響きます。
上原君、その後もなかなか1人で持つことができません。昼の部、最終版での出番。「腰で直す、腰で直す」
周囲の手が離れ、ついに1人で持つことが出来ました。思わず笑みがこぼれます。
高々と舞う旗頭は、夜遅くまで、多く人を惹きつけました。
上原君「何回か危ないところがありました。だけど先輩たちがちゃんと直してくれたので良かったです」
仲間君「余裕も出てきて、周りも見れたし、思ったより持てました」
琉球旗頭会・森山正三会長「また地元に帰って、地元で頑張って、沖縄のみんなが元気になれるような、そういう恩返しの仕方ができたらいいなと思います」
島の伝統を次世代に引き継ぐ試みが動き出しています。