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65年前の8月中旬、沖縄戦が終わったのを知らず、逃げ惑っていた少年兵たちがいました。
宮平盛彦さん「女の子なんかが、ところどころ潮だまりがあるでしょ、そこに浮いていたりして、本当に痛ましい状況でした」
糸満市の喜屋武岬に立ち複雑な思いで海を見つめるのは、宮平盛彦さん。沖縄戦当時、わずか14歳で「通信隊」に編入された宮平さんは、8月になっても戦争が終わったことを知らず、南部の険しい海岸べりや、アダンの林を必死に逃げ惑っていました。
宮平さんにはいまも忘れられない体験があります。北部を目指して、西原辺りを逃げていた8月中旬、突然、海の方から大きな音が聞こえたのです。
宮平さん「打ち上げ花火みたいにずっと上空に大砲も撃つし、サーチライト、あれを上空に照らしていた、乱舞していた」
後で振り返るとそれは8月15日。戦争の勝利を祝うアメリカ軍のセレモニーでした。
多くの仲間たちが捕虜になる中、彼が終戦を知ったのは11月のこと。しかし、そのときには彼の両親も兄弟も仲間の多くも戦死。宮平さんは一人ぼっちになっていました。