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65年前のきょう、玉城村百名で小学校が開校。その目的は、子どもたちの命を守ることでした。

南城市玉城百名の百名初等学校跡地。百名には収容所が置かれ、避難民が続々と集まっていました。食料の乏しい収容所でお腹を空かせた子どもたちは、アメリカ軍の車にたかって物をねだったり、不発弾をいじって遊んだり、危険きわまりない状況だったといいます。

城間富雄さん(当時12歳)「アメリカ軍車両をどこまでも追っかけていって。物欲しさに。何もないですから。そこから、この青空学校が始まったんじゃないかなと思いますけどね。教育熱心な方々が、これではいけないから子どもを集めてどうにかしようと」

65年前のきょう、玉城の人々は子どもたちの命を守ろうと、地元の有志から提供された土地に学校をつくりました。校舎も教科書もなく、630人の児童に対して、職員はわずか11人。しかし、城間さんをはじめ、子どもたちには笑顔が戻ってきました。

城間さん「学校では歌を歌ったり遊戯をしたり。教科書がないものですから、木切れでもって地面に字を書いて。ここがあったから我々子孫もあるなという感じです」