先月末、こちらの絵本が発行されました。「6月の空」。51年前、うるま市で発生したアメリカ軍機の墜落事故をテーマにしたお話です。絵本づくりに取り組んだのは、うるま市の若者たち。彼らが絵本にかけた思いを紹介します。
とつぜん大きな音がして、真っ赤に火をふいたジェット機がつっこんできました。「ワァー、助けてー、お母さーん!」
うるま市の宮森小学校でこの日、ある絵本の読み聞かせが行われました。それは51年前、この学校で起きた悲しい出来事を伝えるものです。1959年6月30日、うるま市にアメリカ軍の戦闘機が墜落。宮森小学校に突っ込み、児童11人を含む、17人が亡くなった石川・宮森アメリカ軍機墜落事故。
絵本をつくったのは去年、この事故をテーマに演劇公演を行った「ハーフセンチュリー宮森」のメンバーたちです。
祖堅加奈枝さん「絵本は絵で伝えることができる。言葉では伝えきれないけど絵であるがゆえに伝わるもの」
比嘉雪乃さん「お母さんと一緒に広げて見ることで、沖縄でこういうことがあったんだ、どう思ったのかなとか色々な人の思いを考えられる機会になればと」
物語は、琉くんという男の子が51年前にタイムスリップし、墜落事故の現場に遭遇。これを機に、事故で幼い息子を亡くした祖父母の苦しい体験や悲しみにふれるというものです。
主人公のムネじい、チエばあのモデルになったのは、喜納福常さん、秀子さん夫妻です。
喜納さん夫妻「中頭病院に着いて、ようやく子どもを探したら、まっ黒けでお腹のバンド、ゴムしか残っていなかったわけですよ。そこだけ白くて。私はそれを見て気絶してしまったんです」
2人の息子・常次くんは全身に大やけどを負い、亡くなりました。苦しみながら息を引き取ったわが子を福常さんは火葬にすることができなかったと語りました。
喜納さん夫妻「もう火葬はしなかったですね。一度焼かれたからかわいそうで。火葬しようといいうけど、この人がまた火葬にするかと反対したんですよ」
福常さんたちが語った51年前の事故の状況。それは想像以上に悲惨なものでした。
何年経っても、わが子を思い続ける親たちの存在を多くの人に知ってもらいたい。その思いが彼女たちを絵本づくりに向かわせたのです。
田里光さん「今でもこんなに泣いている、悲しんでいる人がいるのに、これがなくなっていくのは本当につらいなって」
新垣綾音さん「親が子を思う気持ちだったり、子が親を思う気持ちだったり、そういうのを入れていきたい」
イラストを担当したのは、沖縄戦関連の絵本を多数手がけてきた磯崎主佳さん。この淡く優しい色は、事故当時から宮森小学校に残っているフクギの葉と土を使って出しました。
また、若者たちの提案で、読み聞かせのCDもつけることになりました。
『ムネじいと学校にかけつけるとね、アメリカ兵が「中に入るな」ってどなったんだよ。ごめんね宗ちゃん。あの日、頭が痛いから学校休みたいって言ったのに、むりやり行かせたよね。私のせいだよ、ごめんね』
児童「もう戦争は二度と起こさないように、祈って、平和でいきたいと思います」
今年も多くの遺族が訪れた追悼式。去年、車いすで駆けつけた福常さんの姿はありませんでした。1年前のきょう、病気のために亡くなったのです。
『ムネじいは縁側にでて、サンシンをひき始めました。明日は6月30日、いっしょに慰霊祭にいこうね』
絵本は遺族たちの痛みに優しく寄り添いながらも、祖父母が味わった苦しみを子や、孫の代に引き継いではいけないという強い決意を伝えています。
絵本「6月の空」は県内の有名書店で販売されています。発売されてまだ2週間ですが、反響が大きく、小学校などからハーフセンチュリー宮森のメンバーに読み聞かせの依頼なども寄せられているそうです。
また今月17日には那覇市のパレット市民劇場でこの事故をテーマにした演劇公演を予定していて、多くの方々に見に来てほしいと話しています。
悲しく、恐ろしい事故の事実を子どもたちにはどう伝えていくかは難しいところですが、事故の背景にある遺族たちの親心や、彼らの気持ちに寄り添おうとしている人たちの優しさなども知ってもらいたいと思います。