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福元藤吉さん「残っている兵隊、壕に入っている兵隊が、時々、攻撃したりしているんです。それも8月、9月までやっているみたいでした」
糸満市米須の福元藤吉さんは当時10歳。激戦地の南部で家族とともに捕虜になり、7月には金武へと移りましたが、そこではアメリカ軍と日本兵の銃撃戦が続いていたのです。金武に向かう途中、福元さんの兄夫婦と妹、祖母の4人が戦死。向かう道はおびただしい死体だったといいます。
福元さん「歩く道、全部、もう死体が転がってですね、10歳の子供が真っすぐ歩ける道じゃなかったですね」
福元さんは戦争を「怒り」と表現しました。
福元さん「国民、住民を騙して、捕虜にとられたら戦車に轢かれるとか、いろんなデマを飛ばして、住民を助けようとしなかったのが怒りなんです。いくさというのは、もう二度とやってはいけない」