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ここは、糸満市宇江城にあるクラガー。もともと集落の水汲み場として使われていましたが、第24師団が後退してきてからは、その司令部がおかれました。
糸満市史には住民の犠牲者について、アメリカ軍の攻撃だけでなく、日本軍によるガマからの追い出しや虐殺があったことが記されています。
『入り口にいた老婆が方言まじりで返事をしたら、すぐに老婆は軍刀で首を切り落とされたのです』
65年前のきょう、第24師団司令部は周囲をアメリカに包囲され、雨宮巽師団長が自決。しかし、雨宮師団長は師団の解散前にこう訓示していました。
「最期の一兵に至るまで敵に出血を強要すべし。いやしくも敵の虜囚となり、恥受くるなかれ。最期の忠誠を全うすべし」
最期の一兵まで敵と戦い、捕虜となってはいけないという雨宮師団長の言葉は、師団の解散後も兵士や住民たちを死へとおいやることになったのです。