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65年前のきょう、首里の住職が率いる永岡隊は、糸満で再び合流し、生きていることを喜び合いますがそれもつかの間でした。
首里の安国寺の住職・永岡敬淳が率いる「永岡隊」。沖縄県人で編成された永岡隊は、第32軍司令部が首里を撤退した後も「郷土部隊として最後まで首里を守れ」と命令され、戦闘を続けました。しかし5月29日に安国寺の壕が馬乗り攻撃を受け、隊は離散。
永岡隊に、看護要員として従軍していた翁長安子さんは、小銃弾を背中に受け、負傷しながらたった一人で八重瀬岳の野戦病院にたどり着きました。その後、大けがをした永岡隊の2人を支えながら、安国寺で確かめ合った糸洲の壕を目指します。
翁長安子さん「足のかかとをやられた方とそれから肩に弾の当たった人、2人。蛆は私がかき出して、あげてもどんどんどんどん湧いてくるんです。もうその痛みに耐えながら3名で目的地を」
そして6月9日、糸洲の壕で多くの隊員たちと再会します。
翁長さん「喜び合ったわけです。あれだけの激戦地から、首里の戦線からこれだけ生き延びて、みんな来れたんだ、みんながんばったんだねという気持ちで」
しかし喜びもつかの間-
翁長さん「戦車砲が飛んでくるんです。しばらくすると、きび畑が燃え出したんです。大きな声がしたんです。一人は飛び出して、体全体燃えてるのが見えたんですけど、どうしようもないです。消す道具もなにもないし」