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6月2日、空襲が激しくなった八重山では、山岳地への住民避難が始まりました。台湾へ疎開せずに石垣島に残った住民は5月までは空襲があっても自分の家で生活をしていましたが5月末からはアメリカ軍の攻撃が激しさを増してきます。

八重山旅団司令部は前日の6月1日、「官公庁職員は5日までに、一般住民は10日までに指定地に避難するよう」命令を出しました。軍の命令を受けた県八重山支庁職員は2日から、住民とともに山岳地の白水へ避難を開始しました。

白水一帯はマラリアの有病地帯として住民に知られていましたが、軍の命令で避難せざるを得ず、それが多くの犠牲者を出した石垣島の戦争マラリアの悲劇の幕あけでした。

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65年後の白水には、避難住民らが使ったカマドや食器などが、戦時中の名残をとどめています。