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65年前のきょう司令部のあった首里は崩壊寸前となり住民は南部へと避難します。いよいよ首里決戦は時間の問題となった5月22日。日本軍は首里の司令部を放棄し南部撤退を決定。軍は首里周辺の非戦闘員の島尻への撤退を指導します同じころ第62師団と共に最前線で看護にあたっていたずいせん学徒隊も移動を始めます

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仲西さん「死ぬのはあたりまえ死に際をどうしようか一発で死にたい、手が切れて足が切れてあんな怖い思いで死にたくない当たるなら一発であたってほしいという願いだけです。私たちが移動するのは」

一部の日本軍将校は住民に対し島田知事を通じて非戦闘地域の知念半島への脱出を指示したが、混乱の中でその指示は伝わらなかったといいます。住民の一大避難地に司令部が移ることにより住民を巻き込んだ沖縄戦の悲劇が生じます。