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エンディングはオキナワ1945島は戦場だった。首里の攻防を制したアメリカ軍はさらに本島を南下。当時の島田県知事や荒井警察部長は首里の司令部壕から南部に撤退します。

1フィート映像「沖縄の戦場は、多くの陸軍兵と海兵隊員が犠牲になった最も凄惨な戦いの一つである」

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アメリカ軍が沖縄戦の状況を記録した1フィートフィルムでアメリカ軍は本島上陸から5月下旬迄におよそ1万人の死者と4万人の負傷者が出たと説明。一方の日本軍は兵士のおよそ8割にあたる6万4000人をすでに失っていました。

南部へと進撃する兵士を激励するため沖縄を訪れた太平洋艦隊司令官のニミッツ提督。これに対し物量で完全に劣る日本軍は板で造ったダミーの戦車を前線に配置。島田叡県知事や荒井警察部長は第32軍が首里の司令部壕を放棄する2日前にすでに南部へと撤退していました。

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日本軍が放棄した洞窟や塹壕にダイナマイトを仕掛け爆破するアメリカ軍首里を取り巻く形で何重にも造られた日本軍の防御陣地は完全に破られ、凄惨な戦いはさらに激しさを増してゆきます。