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アメリカ軍の本島上陸から1ヶ月半が経過。本島北部では食糧不足が人々の命を奪っていました。
65年前のきょう5月17日、アメリカ軍の第6海兵師団は現在の那覇新都心、シュガーローフを占領するため、激しく日本軍と戦っていました。
その頃、本島北部はその殆どがアメリカ軍によって占領され、住民は捕虜として収容所に連行されました。しかし、まだ山奥に息を潜めて避難している住民たちも多く、飢えとマラリアに苦しんでいました。
喜如嘉出身の崎浜悦子さんは戦時中、食べるものがなく、ソテツまで食べたと苦しい体験を本に記しています。『ソテツはくきの皮をよく削り落とし、しんの部分を板うようにさき、それをよく乾燥させて水にしたしてくさらしてから炊いて食べるのだ。家族の命を支えるのに両親と叔母は無我夢中だった。』
ソテツは調理方法を誤ると死を招くこともある食物。住民はそこまで追い詰められていたのです。同じ頃、喜如嘉の山奥には当時14才だった島袋シゲさんも避難していました。
島袋シゲさん「まあなんとか食いつないでいきました。ソテツ食べたり。次男の弟はソテツをいっさい食べ切れなかった。もう骨と皮になって、やがて死亡でしたよ。(山を)出るのが少し早かったから、命びろいして元気ですけど」
山の中で避難生活をし、人々の身体は衰弱していました。下山後にも栄養失調とマラリアで命を落とす人々が続出したのはその所以だと言え、特に老人と幼児が多かったと記されています。