※ 著作権や肖像権などの都合により、全体または一部を配信できない場合があります。
65年前のきょうアメリカ軍は浦添まで迫りました。そこに配置されていたのが首里高等女学校、ずいせん学徒隊の生徒たちです。
4月24日宜野湾嘉数の最前線を突破したアメリカ軍は二日後の26日、浦添での激戦を展開します
仲西由紀子さん「一歩でも自分の家が近いほうがいいと言ってそれで仲間に行ったらね、第一線、大変ですよもう」
首里高等女学校ずいせん学徒隊は62師団石部隊に配属。数日で戦争が終われば家にすぐ帰れるとの理由から中・北部出身の女学生は北寄りの浦添での看護にあたったのです。しかしそこは戦闘の最前線でした。
大川トヨさん「負傷兵は手の切れた人とか重傷な人だけ、一番怖かったのは顔が半分切れた人が来て・・・」
浦添での激戦で遭遇した初めての友の死。生徒たちの恐怖は一気に現実味を増してきます。
大川トヨさん「手当するとき大声でお母さんよ神様なのになんで助けないねって大声で泣いてかわいそうだったよ」
宮城巳知子さん「兵隊も看護隊もみんなへとへとになって生きているか死んでいるか分からないぐらい兵隊はみんな傷口からウジ虫が湧いて辛かったどころじゃないあれはもう地獄・・・」