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4月19日のアメリカ軍総攻撃以降、首里防衛線の最前線では、連日一進一退の激闘が繰り広げられていました。
沖縄守備軍は、圧倒的に兵力・兵器の勝るアメリカ軍を相手に、嘉数、西原、棚原などを必死に守っていましたが、そのうちに伊祖、和宇慶がほぼ占領され、前線部隊の全滅が危ぶまれるようになりました。
悩みぬいた司令部の参謀長は、戦線の整理を決意。司令部の後方で控えていた第24師団など2部隊を北上させることにしました。しかも戦闘が続いている最前線ではなく、その後方の前田高地周辺に配備。
また、激戦を続けていた、嘉数などを撤退。24日までに、城間から小波津を中心とした次なる防衛線に移行しました。
しかし、前田から首里の司令部まではわずか3キロ。力で全面から押し寄せてくるアメリカ軍を前に、守備軍の戦いはただ消耗していくばかりでした。