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65年前のきょうは、伊江島の戦闘が終結した日です。芳魂の塔では平和祈願際が行われ、島は一日祈りの日となりました。その伊江島ではきょう、もう1つの慰霊祭が行われました。

島の西端、今はアメリカ軍の基地となった地に 静かに立つ伊江島灯台。そこには伊江島での戦闘で命を落とした灯台職員とその家族8人の名前が刻まれています。

1897年に建造された伊江島灯台。日本一の高さ30.3メートルを誇り、村の人々からは「東洋一の灯台」と呼ばれ親しまれていました。

平安山良有さん「こんな感じでした 頑丈な作りでしたよ 鉄骨で 休みがあるとみんな集まって」

当時14歳だった平安山さんは職員の子供と同じ学校に通っていてよく遊んだといいます。しかし戦況は厳しくなり、島には米軍が上陸。島の人たちの多くが戦闘にまきこまれ、命を落としました。

平安山良有さん「彼らは家族みんな伊江島で亡くなりましたね灯台を守らなければという気持ちがあったと思う」

黙とう。空襲により灯台としての機能は失われ灯台に働いていた3人の職員からの連絡は1945年1月22日建物全焼の報告を最後に、途絶えてしまいました。

灯台を守るために島を離れなかった人々。その慰霊之碑はアメリカ軍の施設内にあり、立ち入りが制限されているため ことしも遺族と関係者のみで静かに参拝が行われました。

かつては学校の遠足コースにもなるほど伊江島の人々に親しまれていた灯台。そこは、灯台守として生きた人々の証でもあります。