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65年前のきょう、わずかな希望を胸に壕の中で厳しい生活を送っていた人がいました。
松茂良美智子さん「ただ怖いからここに入って、怪我しないようにということだけしか考えなかった」
当時13歳の松茂良美智子さんは3月中旬、真っ暗な壕の中で厳しい生活を強いられていました。
松茂良さん「沖縄上陸してからは、もう帰れないですね。しょっちゅう艦砲射撃やっているから」
那覇市繁多川にある石田の壕、通称イシジャヌガマにはおよそ70人から80人の人たちがここに避難をしていました。松茂良さんは、戦後一度もここへは来ていませんでした。
松茂良さん「(戦後)一回も入ったことがない、トラウマになって。あんまり壕の中はいい感じしない。匂いでいやになる。日本はどうなるかなねーって話していると、兵隊がきて『大丈夫だよ、戦艦大和が助けにくるから、あと2週間もすれば』といっていた」
しかし、戦艦大和は4月7日、沖縄に到着することなく鹿児島の東シナ海沖で沈んでいました。
松茂良さんは5月初旬までこの壕で過ごし、南部を逃げ回ります。