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65年前のきょう4月6日。日本軍の特攻作戦「菊水作戦」が実行されました。若い命を乗せた特攻機が沖縄へ飛び立ったのです。

その日、大宜味村喜如嘉の人たちが見たのは炎上する軍艦、高い波しぶきでした。そして翌日、浜に一体の遺体が流れ着きました。

福地さん「飛行士が流れ着いているということで、区長や当時の校長なんかも4名くらいで見に行った」

沖縄戦記録フィルム「1フィート運動の会」の代表を勤めた福地曠昭さんの著書によると、流れ着いた遺体は九州の基地から出撃した寺内大尉(20歳)。遺体は喜如嘉の人たちの手で埋葬され、小さな墓碑が建てられました。

福地さん「名誉の戦死だということが、実際は(当時の)家族、特に母親は泣いてばかりだった。自分の島の人じゃないけれども、寺内さんのことについて、自分の子どもを見たようなことで、そういう意味でああいう風な弔いをやったんじゃないかと思うほどです」

『心篤き人ら住めりとこの岸に 導かれけむ兄がからかも』

戦後、寺内大尉の遺族が喜如嘉で詠んだ歌です。戦死した村民を村をあげて葬儀するなど、国に命を奉げた人を大切に扱ってきた喜如嘉の人々は操縦かんをにぎったままの寺内大尉を手厚く葬りました。

この日から数日後、喜如嘉にアメリカ軍が侵攻します。