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65年前の今日は積徳高等女学校の生徒たちが南部に入って看護実習を始めて三日目。二度と泣かないと誓約書を書かされた少女もいました。

仲里ハルさん「君らは軍服こそつけていないが初年兵だということで、ものすごく厳しい看護訓練だった。午前中は看護教育、午後はテスト。不眠不休でうちらは勉強したよ」

那覇市松山にあった私立の女子校・積徳高等女学校。宮古島から奨学金で入学したハルさんは、同じ離島から来た仲間と寮生活を送っていました。

ハルさん「何にも知らないで那覇に来て、那覇ではメンソーレというでしょ。これを逆に言ったり、ニヘーデービルと言ったりして」

慣れない都会生活に胸を膨らませていたころ、いよいよ沖縄決戦が近いとして、当時の教育担当者は32軍との間では女子学徒も「軍人または軍属と同等」に扱うことに合意。積徳の生徒は3月6日に東風平国民学校で厳しい看護訓練に入りました。

ハルさん「下の里(下里)と書いて『げりちゃん』と呼ばれた。『げりちゃんはまた泣いているのか』と言われた。ずっとだって母ちゃんもいないのに。自分一人でいるでしょう。泣きたいよ、本当に」

20日後、野戦病院に配属される日に運命がわかれました。

ハルさん「君らは非戦闘員だから、帰りたい人は帰ってもいい。お母さんのい会いたい人は帰っていいということで、みんなは喜んで、31名は帰りました。万歳して、手を振って。私たちはそれを見送った、泣きながら。みんな離島の人、25人残った。これが本当の野戦病院の学徒隊として、軍隊に配属というふうになった」

離島の女学生たちは地獄のような野戦病院に移動するのです。