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1945年3月上旬、県外への疎開が打ち切られます。1944年7月から始まった県外疎開は、沖縄本島・宮古、八重山、奄美などから10万人の子どもや高齢者を本土や台湾へと移送する計画でしたが、県民が最初のうち疎開に消極的だったこともあり、県の記録によると実際に沖縄を離れたのはおよそ7万人とされています。
しかし疎開開始当時、すでに沖縄近海では多くのアメリカ軍の戦艦や潜水艦などが戦闘準備を始めていたため、対馬丸をはじめいくつもの船が攻撃を受けて沈没。子どもたちを含む多くの命が奪われたのです。