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65年前のきょうの新聞には相反する2つの記事が掲載されています。沖縄師範学校の入学考査を規定どおり実施するという広告記事。その一方で同じ紙面には戦局緊迫に伴って3月1日出陣することとなった沖縄師範学校男子部の生徒の門出を祝すという記事も掲載されています。
大田 昌秀さん「まだ、軍隊が沖縄本島に上陸していないのでね、師範学校としてはねいつも通りの生徒募集なんていうのはやるわけですよね。」
大田さんも当時師範学校の生徒で3月31に鉄血勤皇隊として学徒動員されましたが、3月1日に動員された学徒は、現地入隊。つまり、軍隊としての動員でした。
大田 昌秀さん「現地入隊って言ったらね正規の軍隊として戦うわけだからね、むしろ見送る僕らはね、先に行って早く殺されるなよって行ってね。」
このあと、次々と戦場に送り込まれることとなる沖縄県内の学徒たち。しかし、それは法律の根拠もないままに行われたものでした。