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65年前、食糧不足が子ども達を苦しめました。

65年前のきょう新聞には当時の知事・島田叡の三大目標が大きく掲載されました。そのひとつが「食糧自給の達成」。食べ盛りの子ども達を苦しめたのがこの食糧不足でした。

吉里さん「もう食べるのが不足でね。食べ物といったら、大根を細かく刻んで米よりは大根のほうが多いそういうものを弁当箱に詰めて。子どもだから苦しいというよりも、あの食糧難です」

石嶺さんは北中城に住んでいました。

石嶺さん「力もなく小さな女の子だった。嘉手納飛行場の飛行場作りなんです。裸足なんですよ。慣れない足で嘉手納まで行かんといけない、そういう作業をした。結局、10歳ですか、子どもですからやっぱり飢えです。もうお腹がすいて」

インタビューの帰り道、取材班は元気な子どもたちに声をかけられました。

みんな何歳?「9歳!10歳!」

同じ年頃のこどもたちが65年前、この島のいたるところで飢えと戦っていたのです。