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島袋チエ子さん「きょうの主人のネクタイと、私のコサージュは一期目の市長選の際に、前の市長夫人の能子夫人から頂いたものでした。」「前の市長から引き継いだ仕事を、主人がやり遂げたのでご安心くださいとの思いで・・・」

贈り物のネクタイとコサージュで、前の市長との信頼関係をアピールする島袋市長。島袋市長は2006年1月、基地建設を受け入れた岸本建男前市長の後任として初当選しました。

島袋候補「前岸本建男市長の後継として、一生懸命やっているわけですね」

新基地建設が浮上してから4度目となる名護市長選挙。その舞台裏ではもう一つの戦いがありました。現職に挑む、新人の稲嶺さん。去年7月まで市の教育長でした。今回は、辺野古への基地建設反対を前面に出し、立候補しますが、実は彼も、岸本前市長の志を継いでいると主張しています。

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稲嶺候補「私が見る、岸本建男は(基地を)受けたくなかったと思うんですよ。その一つに、七つの条件という高いハードルを掲げて、それがクリアにできなければ白紙に戻しますよというのを前提にしたものでしたので、非常に高いハードルを掲げることで、一つは抵抗するということもあったのではないかな。」

岸本前市長が出した7つの条件。それはアメリカ軍機の飛行ルートや飛行時間を制限する使用協定を締結することやアメリカ軍の使用期限を15年に限定することなどです。政権交代で鳩山政権がこれまでの経緯を検証すると話している中、岸本前市長が基地建設を受け入れた経緯がクローズアップされているのです。

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もちろん、稲嶺さんたちの主張に批判もあがっています。2代前の市長で、島袋さんの選対本部長を務める比嘉鉄也さんは、亡くなった人の真意を勝手に想像し、批判するのはおかしいと反論しています。

比嘉鉄也さん「あのときには市長として全部やったわけでしょ。建男さんも沖合い展開を容認したわけでしょ。」Q・岸本さんと島袋さんの意見に食い違いはなかったと思っているんですか? 比嘉鉄也さん「なかったと、ないから、後援会長をしたんでしょ。そうでしょ。後援会長をして、選対委員長もして、当選させて、万歳までしたんだから」

この指摘は、岸本前市長の側近でもあった稲嶺さん自身に向けられたものでもあります。そんな稲嶺さんのあいさつ回りに同行するこの男性、岸本洋平さん。市議会議員の洋平さんは亡くなった岸本前市長の長男です。洋平さんは島袋市長が父の意志を継いでいないと感じています。

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岸本洋平市議会議員「市長は7つの条件とか、使用協定、地位協定を含め、安全をしっかりするということで交渉を続けていましたので。」Q島袋さんはその意志をついでいないと? 岸本洋平市議会議員「その辺りは一言でどうこう申し上げることはできないですけど、その辺りの考え方に違いがあるのは確かですね。」

現行案に合意して4年近く。島袋市長は、基地問題は選挙の争点にはなり得ないと主張し、国の早期方針決定を求めています。

島袋候補「基地問題については、国がどういうことで定めるかと言うことですから、地元の皆さんもそうですし、県もそうですが、しっかりと地元の皆さん、県の皆さんと相談しながら、対処していきたいと思っています。」

岸本前市長の後継者を主張しながら、辺野古への基地建設を巡っては異なる意見を戦わせる2人。この複雑な構図は、国策に翻弄されてきた、名護市の苦悩を映しだしています。