沖縄に核を持ち込むことを日米間で秘密裏に合意した文書を当時の佐藤総理大臣の二男が保管していました。この密約文書はまだ公にはされていませんが、元になった『草案』があり、そこには「沖縄を返還しても核は沖縄に持ち込み続けたい」というアメリカ側の思惑がにじみ出ています。
草案は、沖縄返還が合意された1969年の日米首脳会談で佐藤総理大臣とニクソン大統領との間で交わされた“秘密合意議事録”の元になったもので、大統領の補佐官だったキッシンジャー氏が青いインクで手を加えた文字も残されています。
沖縄の祖国復帰運動が日米安保の維持に影響を与えることを恐れていたアメリカは、基本的には沖縄返還に同意していましたが、問題は沖縄の核でした。「沖縄を返還しても核の抑止力の維持は必要不可欠」と主張するニクソン大統領に対し「核抜き本土並み返還」を国民向けにうたっていた佐藤総理は、双方の妥協案として「緊急時には沖縄に核を持ち込むことに日本が同意する」との密約をニクソン大統領と取り交わしたのです。この核持ち込み密約については、佐藤総理の密使としてキッシンジャー補佐官と返還交渉にあたった若泉敬氏が1994年にその著書の中で明らかにしましたが、日本政府はこれまで密約の事実を否定し続けてきました。
密約問題に関して提訴している琉球大学の我部政明教授は、こうした国民を欺く密約を防ぐため、情報公開の透明性を制度として定着させるべきだと話します。24日、QABのインタビューで我部教授は「今回の密約調査の後で、いわば政府の透明性というものを鳩山政権はもっと制度として導入する、あるいは制度として定着させていく努力が政権として必要ではないか」と指摘しました。
この密約文書について鳩山総理は22日、記者団に対し「(有識者委員会で)議論をして結論をいただくことにしたいと思っており、それが岡田外務大臣の考えでもあり、私の考えである」と述べました。