Qリポートは、障害者権利条例制定に向けた動きについて。障害者の権利侵害を無くし、尊厳を守っていこうと、今、沖縄では障害者や、その家族、福祉従事者などが「障害者権利条例」の制定に向けて動き出しています。
「障害のある人にとって、権利が守られる社会は、障害の無い全ての人にとって生きやすい、住みやすい社会だ こういう思いで作っています。」
今年1月、障害の有無に関わらず、全ての人の尊厳が守られる社会を作っていきたいと、障害者権利条例の制定に向けた骨子案が発表されました。その中では、条例で守っていきたい権利として、人として尊重される権利、地域社会で生活を送る権利、個別の必要に応じた行政、福祉サービスを受ける権利など、7つが提案されています。
条例の制定を求めて、声を上げたのは、障害当事者や、福祉関係者などからなる「障害のある人も、無い人もいのち輝く条例作りの会」のメンバーです。会では、多くの当時者の声を条例に反映させようと、去年、宮古、八重山を含め、県内7箇所で障害者やその家族の声を集めてきました。
「那覇市養護学校に通っていたが、宿舎では、異性の先生にお風呂に入れてもらわないといけない。性が守られていない。」
「息子が脳性まひ。島に施設がなくずっと親元を離れ生活していた。」
「親戚一同集まる場所では、肩身の狭い思いをし、母親はいつもごめんねと泣いて謝っていた。生まれてこなければ良かったんじゃないかと、最近まで考えていた。」
そこには、性の問題。人間として当然守られるべき尊厳への配慮の無さ、そして、島嶼県沖縄ならではの地域間格差など、障害者がさらされている様々な差別の実態が浮かび上がっていました。
「まず、人として生まれてきて、幸せになりやすい人と、全く自分の力だけではどうしようもない人が、この世の中にはいるかなと思ったときに、権利とか、人権とか、本当に憲法で謳われているのに、それが全然出来ない人たちがいるというところに不公平感があって。」
条例作りの会の共同代表を務める岡島弁護士。自身も難聴を抱え当事者です。
岡島実弁護士「弁護士になろうとしたきっかけそのものが、障害による差別、或いは、もっと障害を無くすために何か法律の取り組みが出来るんじゃないかというところがスタートだったんですね。」
これまで、岡島さんは、障害者の権利が犯されるようなことがあれば、権利の回復を求め声を挙げてきました。そんな中で感じるのは、結局、障害者だけの問題で終わってしまうという閉塞感でした。
岡島実弁護士「障害の関係者だけではない。普通の人たちにも投げかけていって、議論をしていく。(戻って)もっとこう皆で権利を共有出来る。そういう動きを作りたい。それが条例という形じゃないかっていう。」
「障害のある人と無い人の接点が無いというのが、分離された教育・生活をしていたというのがあるので、今後学校にも障害を持った子供でも入学出来るように、統合教育が受けられるように」条例作りの会ではこれまで、タウンミーティングを開催。骨子案の具体化に向け、議論を重ねています。しかし、一方で、なかなか全県的な運動に発展させられないジレンマも感じています。そんな中、会では、先日ある場所を訪れていました。ハンセン病もと患者が暮らす名護市の愛楽園です。
金城雅春会長「ずっと、それまで、差別偏見の中で、世の中の迫害を受けて、この塀の中で収容されて、囲われて、自由が無い中で生活させられてきた実態があって・・・」
ハンセン病問題では、様々な運動によって、権利の回復を勝ち取ってきた歴史があります。
金城雅春会長「われわれの運動というのは、自分たちだけだったんですね。国を相手に我々の組織だけで闘っていたんですね。残念ながら、なかなか実を結ばなかった。しかし、ハンセン病国倍訴訟で、市民運動まで広げていった。ですから、国民運動にしていくという方法がこの障害者の権利条例を作るうえでも必要じゃないかなと思っています。」
ハンセン病もと患者との意見交換では、運動の進め方に加え、大切なことを再認識する場ともなりました。
「障害者差別禁止条例を作るにあたって、この障害種別を越えて、みんなでいろんな障害を持った方と接して、相手の障害の理解をするというところから始めないと多分条例がいい条例にならないんじゃないかなと」
条例作りの会では、来年3月を目処に条例最終案を作成し、県議会に提出、条例の制定を目指す方針です。差別を無くすには、何よりも、一人ひとりの意識を変えていくことが大切ですから、多くの県民を巻き込んで作られる条例となれば、大きな力につながりますよね。
来月23日には、宜野湾市のコンベンションセンターで、フォーラムが開催されます。多くの県民の参加を呼びかけています。