NPO法人琉米歴史研究会を通して半世紀ぶりに里帰りした写真から宮古の戦後を振り返るシリーズ。1回目のきょうは宮古に駐留したアメリカ兵と住民との関係についてです。
毎年旧暦の8月15日に行われるマストリャー。過酷な人頭税を納めたことを祝うこの祭りは国の無形民族文化財にも指定されている野原の伝統行事です。
現在、およそ70世帯200人が住む野原地区。農業が中心で、のんびりとした空気が流れるこの土地に、一見不似合いな施設があります。航空自営隊宮古分屯基地。レーダードームを抱える日本最南端の自衛隊基地です。復帰前はアメリカ空軍のレーダー基地でした。
1959年に駐留するアメリカ兵によって撮影された基地内の写真です。この写真には「基地の警備にあたるガードマンの就任式」との説明がついていました。料亭で開かれた就任式を祝う宴会。接待をする女性も写っており、当時としてはかなり高級です。野原の長老たちにこれらの写真を見てもらいました。
砂川さん「帽子の横は仲里さん。白いヘルメットをかぶっている」
写真に写っていたのは仲里好雄さんでした。
宴会の席で仲里さんの隣にいるのが久貝さんです。
久貝さん「(Q:米軍に反発は?)こちらは給料もらって働いているのだからありがたいと思っている」
仲里さん「(Q:差別は?)差別ということはあり得ない」
1954年に撮られた写真、屋根や壁がトタンで覆われたかまぼこ型のコンセットを、晴れ着で着飾った住民らが訪れています。この写真には”クリスマスパーティーに住民が招かれた時の様子”との説明がついています。
野原自治会・高江洲会長「友好的で部隊にもよく遊びにいきました」
基地で働いていた父親の忠吉さんもアメリカ兵に好感を抱いています。
忠吉さん「(Q:イメージは?)良いイメージです」
アメリカ軍に好感を抱いているのは野原地区だけではありません。海軍の沿岸警備隊が置かれていた保良地区の住民も同様です。
保良自治会・平良会長「一番助けてもらったのは救急車。米軍車両で急病人を運んでもらった」
野原自治会・高江洲会長「(Q:返還はない方がよかった?)良かったね。悪いけど」
沖縄本島では銃剣とブルドーザーで土地を強制的に奪われ、人権も損なわれました。本土復帰を果たした今日でさえ、アメリカ兵によって引き起こされる事件は後を絶ちません。その度にアメリカ軍首脳部がよく口にする「良き隣人」という言葉。宮古の戦後史から学ぶべきことは多いようです。