シリーズ真夏の決戦、きょうは、普天間基地に焦点を当てます。日米両政府が普天間基地の全面返還を合意してから13年。しかし、基地は変わらず横たわったままです。そして先ほどお伝えしたように5年前には、沖縄国際大学にアメリカ軍のヘリが墜落・炎上しました。常に危険と隣り合わせで暮らす住民は今回の選挙をどのように見ているのでしょうか。中村記者のリポートです。
宜野湾市民「(普天間基地は)市の真ん中にドカッと座っているので危険性は大だなと思いますよ。」
普天間基地が日米両政府の間で全面返還が合意されて13年。基地では連日、訓練が行われ、住民地域の上空をアメリカ軍のヘリが飛び続けます。進まない基地の返還。宜野湾市の伊波市長は、怒りをにじませます。
伊波市長「ほとんど変わっていない普天間に関しては。ヘリは日常的に市民の上空を飛んでいるんですよね。」
1995年に起きた、アメリカ兵による暴行事件に対して県民の怒りが爆発。橋本総理(1996年4月)「普天間基地は全面返還する」しかし返還は、県内への移設が条件とされます。
その後、移設先が名護市辺野古沖とされたことに対して名護市民投票が実施され、受け入れに反対が多数。しかしその後の選挙で基地受け入れ容認の岸本市長が勝利し、辺野古が移設先とされたまま、普天間基地はその危険性が放置されます。それから6年後、2004年8月13日、沖縄国際大学にアメリカ海兵隊の大型輸送ヘリが墜落。奇跡的に、住民にけがはありませんでした。
伊波市長「今まで、ただうるさいと思っていたのが落ちてくるかもしれないという恐怖心になってきたので、それが随分市民にとっては普天間を見る目が変わったと(思います)。」
墜落現場近くで絵画教室を開いている徳吉貞雄さん。思い出したくない、あの事故の様子を語ってくれました。
徳吉さん「私、野球を見るのが好きで野球を見ていたら南のほうから、『ガラガラ』ってけたたましい音が聞こえきて、一瞬、あれ?と思ったらもう、(沖国大)に墜落してるわけね。」「あの時、戦争は10歳で体験しているわけだから、10歳の記憶がよみがえりますね。一緒になってですね。」
徳吉さんは、ヘリが墜落し、黒煙が立ち上る光景を見たときに、沖縄戦の体験が蘇ったと言います。事故後、一度もヘリが墜落した場所に足を運んだことがなかった徳吉さん。今回初めて、その場所に作られたモニュメントを訪れました。
徳吉さん「うん、思い出すね。」「見たくなかったというのが正直な気持ちねぇ。」
燃え残った木を見つめ 徳吉さん「ヘリコプターの音あるいはジェット機の音が聞こえない時は、「あ、平和だねぇ」というのを自然に感じると思う。」
今でもヘリや戦闘機の音を聞くと、『また落ちるのではないか』という恐怖に襲われると話す徳吉さん。
宜野湾市民「(Q.今回の選挙で気になるところは)どちらが普天間基地撤去に重点を置いているかこれは考えますね。」
今回の総選挙で自民党は、政権公約・マニフェストで前回2005年の選挙と同様に、「日米で合意した在日アメリカ軍再編を着実に行なう」と記しています。一方、政権交代を目指す民主党は、これまで主張していた普天間基地の県外移設について、マニフェストには盛り込みませんでした。
民主党県連 新垣安弘幹事長「今回(普天間の県外移設が政権公約に)載らなかったと。そのことに関しては民主党本部としても今まで幹部が口を揃えて、県外国外ということを言ってきているし、方針が変わったわけではないことは明言できる」
伊波市長「政権交代で、私が期待したいのはアメリカに対して日本の主張を国民の被害がないような米軍基地のあり方、あるいはその米軍基地に対してものがいえる国、当然国内にあるんですから、そのことを政府が言っていけるそういうものだと思う。」
女性「政権が変わってもそれほどには差がないんじゃないかと思うんですよ。」男性「なかなか、どうなんですかね、すぐには進展しないじゃないですかね。」
徳吉さん「政権交替があったときにそれがどういうことになるか、これは正直言って分かる人はいないでしょ。」「沖縄の人が動かん限りは、政府も動かないしアメリカ政府も動かないでしょ。そこが一番大事なところじゃないですかね。」
普天間基地の撤去について、取材した徳吉さんや市民の多くは今回の選挙に強い期待は示しません。ただ、そこには、選挙のたびに最大の争点になってきたにもかかわらず基地が動かない現実に、「もう期待を裏切られたくないから」という思いがにじんでみえます。