南風原町にある吉クリニック。ここでは、慢性腎不全など、腎臓がうまく機能しない病気と闘っている人たちが、人工透析を受けています。このフロア全体に目を光らせるのが、臨床工学技師の仲里則男さん。この日は、午前中だけで、20人あまりの患者が透析に訪れました。仲里さんは息つくまもなくそれぞれのベッドを回り、1人4時間以上も続く透析の状態をチェックします。
そんな、クリニックには欠かせない仲里さんですが、今月は、1週間ここを留守にします。
患者さん「僕らの痛みもよく知っている人だから、1週間いなくなるのはさびしいですよ」「がんばってきて欲しいなと思いますね」
「世界移植者スポーツ大会」。それは、臓器移植を受け、健康で明るい生活を送ることができるようになった移植経験者たちが、臓器移植をPRし、また、ドナーへの感謝をあらわそうと、1978年にイギリスで始まり、2年に1度、開かれている大会です。
実は仲里さん自身、かつて、人工透析と腎臓移植をした移植経験者。クリニックを不在にするのは、オーストラリアで開かれる大会に出場するためです。仲里さんが人工透析と腎臓移植を経験したのは、19歳のとき罹った、ネフローゼ症候群という病気がきっかけでした。
仲里さん「ハンドボールで大きな大会があって、ぜひこれは出たいなということで、無理して、(病を)おして。そのあとから急に状態が悪化して、そのまま2カ年間入院して、透析に入ったという現状に…」運動神経抜群で、大学ではハンドボールに熱中していた仲里さん。将来は体育教師になることを夢見ていました。しかし、入院して1年で、歩くこともできないほど衰弱してしまいました。
仲里さん「体重のほうも70キロあったのが退院したときには48キロぐらいでしたかね。ものすごい落ちて、食事もとれなくて常にもどして、こんなして生きていて価値があるのかなとかですね」
父親から腎臓移植を受けたのは、透析をはじめて4年後のこと。親にもらった腎臓で、人生を再スタートしたこのとき、自分の人生を変えた医療の道に進むべきではないか。そんな使命感を感じるようになりました。
仲里さん「(ただやっぱり移植を受けてですよ、8月3日に移植を受けて、)だんだん体が元気になるにつれて、自分は好きなことしていいのかな、といって」「いや、自分はやっぱり医療の道に行けって言っているんじゃないかな、といって、そういう生き方って言うのは何かのめぐり合わせじゃないかな、そういう思いが強くなって」
移植後の猛勉強で、臨床工学技師となった仲里さん。患者と技師、両方の経験を持つ彼の存在は、とても貴重です。また、腎臓移植経験者がスポーツで活躍することは、全国で30万人近くいると言われる透析患者にとって、大きな希望の光になっています。
患者さん「移植したら、こんなにも元気になるよということを彼はね、示しているんで」院長「勝つとニュースになってね、みんなもやる気が出てきますからね、特にまた沖縄からこういう入賞するとなると、非常にビッグニュースですから」
「仕事のことは考えずに、がんばってください」「ありがとうございます」
仕事を終えた仲里さん。妻の広子さんとボウリング場に向かいます。ボウリングは、大会に向け、今一番力を入れている競技。週に1回のリーグ戦に参加し、その腕前は、平均スコア180点とハイレベルです。大会でも上位を狙います。
ボウリング仲間も激励「世界大会上位健闘を祈りまして、よーっ、パン(その後拍手)」
中里さんの妻 広子さん「せっかくいただいた命ですので、参加して、本人もまた、それに参加することによって生き生きしてますので、」「楽しんで行ってきてほしいという気持ちでいっぱいです」
中里さん「元気になって、スポーツをしてる姿っていうのを、一般の方に見てもらって、(それがやっぱり、移植したらあんなに元気になるんだっていうね、)それ(印象を与える)だけでもやっぱり私としては、スポーツの価値があるのかなと」」
患者、家族、仲間、みんなの期待を背負いって、いざ、オーストラリアへ。準備は万端です。