がんじゅうへの扉です。神経細胞の変質で、次第に運動能力が失われていく「パーキンソン病」をご存じでしょうか。発症の原因は分からず、まだ根本的な治療法がない難病で、1000人に一人という確率で発症します。しかし発券が難しいため県内ではおよそ1000人前後の患者がいると推定されています。
この病気に立ち向かう患者と、支援する家族でつくる友の会が県内では2006年に発足し、活動を続けています。比嘉雅人記者です。
山原の青空のもと、パークゴルフを楽しむ人たち。パーキンソン病という難病をもつ人々とその家族で作るパーキンソン病友の会沖縄県支部がはじめて企画したバスツアーが、先月開催されました。
からだの震えや筋肉のこわばりで、動作が遅くなりそのまま進行すると体が動かなくなる神経系の病気、パーキンソン病。その症状から、ともすれば自宅にこもりがちな患者や家族の交流を深めるのがツアーの目的です。
参加者「病気のことも忘れますね、はじめての参加で」「患者さん同士で親睦を深めて嬉しいです。普段はいつもひとりですから」
参加者「沖縄の友の会はまだ日も浅いんですけどでもこんな風にピクニックがあるって、とても病人に対し表情豊かになるし和気あいあいとしてね。気持ちいいです」
友の会の事務局長をつとめる、又吉朝子さん。パーキンソン病患者であり、会の青年部長である夫の又吉忠常さんと、バスツアーの世話役をつとめました。
友の会の結成は2006年、現在の会員数は95人です。ことし、ようやく会の作業部屋をもつことが出来ました。きょうは県社会福祉協議会に、部屋の電話や備品など、初期費用の助成申請を行いました。
又吉さんがパーキンソン病と診断されたのは4年前。それまでに数年続いた腰痛や肩の痛み、姿勢のゆがみがパーキンソン病によるものだとわかるまで、長い時間がかかりました。
又吉さん「診断されてすぐは何をしていいか分からない、なるたけ人に知られたくない」「病気に打ち勝とうという気になれなかったんです当時は。後ろ向きで“やったって何になるんだ”“あと何年くらい生きられるんだ”って」
発症率は1000人に一人、50代から多くみられるというパーキンソン病。手足の病気や老化と混同されがちですが神経内科での診察が必要です。
金城医師「パーキンソン病は簡単に言うと脳の病気、神経の病気です」「この黒いとこですけどね、黒質というのがあります」
中脳の黒質は、人が動くために必要なドーパミンという物質を作る部分ですが、ここが変性するのがパーキンソン病です。
金城医師「原因は分からない、原因は分からないんですがこの黒質の細胞がどんどん少なくなっていく。神経細胞が死んでいくという現象がおきるんですね」
ドーパミンが減ってしまう。パーキンソン病の原因は分かっていませんが、リハビリとドーパミンを調整する薬による治療で、症状をおおきく改善できることが分かっています。
金城医師「これらの薬をうまく組み合わせることで生活の質を保つことはできます。よく誤解されてる方がいるんですがパーキンソン病になられたからといって寿命が短くなるわけでもなければ大きな病気に発展することもない、天寿をまっとうすることができるんです」
診断結果に一時は落ち込んだ又吉さんと奥さんですが、リハビリと投薬治療にはげむ二人三脚の日々が始まりました。友の会との出会いで仲間と語らい情報を交換し、そして前向きに生きることで、病気に立ち向かえることを実感したといいます。
又吉忠常さん「このラインを越えれば楽になるんだ、ここから一歩踏みだせば楽になる。僕らはそれを体感してるだけに踏みだしてほしい。ここから一歩出れば、仲間はいっぱいいるんです」
又吉朝子さん「いま同じスタートラインに立ってこうして事務所もできて一緒にこれから作業をしていくんだという気持ちで夫婦のきずなが強くなりました」
難病を患っても、明るく前向きに過ごしてほしい。同じ悩みをもつ人同士、病気や生活のことをもっと話して共に生きる力を持ちたい。又吉さん夫婦、そして友の会の思いが初めてのバスツアーを実現させたのです。ツアーには42人が参加し、助け合いながら山原を散策。記念植樹をして、来年も元気で会おうと励まし合いました。
又吉さん「また元気でここに来れるように願いをこめて、スコップ一杯ずつ土を入れて下さい」
参加者「いいですよ、みんなやる気が出るんじゃないですかね。いいですよ」
参加者「話?Qうん、バスの中とか Aやっぱり病気に関することが多いわね、薬とかね」「楽しかったですよ、前々から期待してましたし」
仲村支部長「パーキンソン病に限らず難病の方はみなこもりがちになる、だけどこういう風に外に出てみんなと話をして」「もちろん薬も大事なんだけど薬ともうひとつ、自分なりの健康法をやってそれをみんなが見て自分も自分なりの工夫をして交流を深めてほしい」
病気の発見、リハビリに治療。友の会の活動。様々なことを経験した又吉さんは、会の活動を通して患者同士の交流と、社会に向け病気への理解を広げたいと考えています。
又吉さん「難病といわれるだけあってなかなか外に出る機会が少ない中でここまで漕ぎつけたのが一番うれしい。今日はもう“これからのスタート”と位置付けています」