めざせ甲子園!12校目は読谷高校です。およそ1年間にもわたる闘病生活をナインの絆で乗り越えた選手が、チームを支える大きな存在になっています。
読谷高校。文武両道を掲げる学校はクラブ活動も盛ん。野球部も、今から17年前の春のセンバツ甲子園に出場しています。
再び甲子園の夢を目指し、今年の夏に挑むチームには特別な存在の選手がいました。
喜友名大介くん「焦らずじっくり治して、また自分も野球が出来るように頑張りたいです」
喜友名大介くん。入学したばかりの1年生の時代にはエースで4番、新チームの「柱」になる存在でした。ところが…。
池原翔也投手「これからチームは大丈夫かなって、不安になるだけでした」
その年の秋季大会終了後、ずっと痛めていた左足の治りが遅いことを気にして病院で検査すると、思いもかけない病名が告げられたのです。
「骨肉種」
喜友名大介くん「最初は信じられなかったです」
一時は足を切断しなければならないと診断されましたが、化学療法の道が開け、切断は免れます。しかし、その後は抗がん剤治療の副作用のために、髪の毛が全部抜け落ちたこともありました。
丸1年にもおよんだ大介くんの長く辛い闘病生活を支えたもの、それは「チームの絆」でした。
喜友名大介くん「電話で皆がかわりばんこで話をしてくれたりして、それが楽しかった。嬉しかったです。俺たちも今頑張っているから、お前も早く戻って来いよ、みたいな」
喜友名吾弥主将「『お前が帰ってきたら一緒にピッチャーとしてチームを作っていこう』と話しました」
大介くんは今年5月退院。この日は1年ぶりにユニフォーム着てグラウンドへ。
喜友名大介くん「(1年ぶりのユニフォームは)なんか新鮮な感じがします」
大介くんの復活を3年生の仲間達も心から喜んでいます。
喜友名大介くん「正直やっぱりちょっと羨ましい。自分も本当だったら普通に野球をやっていたのにと思います」
退院して間もない大介くんは、野球ができるほどまだ体力は回復していません。
山城明男監督「野球をやりたくてもできない大介くんがそばにいて、試合でも練習でもよく来てくれて応援してくれている。その大介くんの分もこの子たちが頑張ろうというのが見えますね」
1年におよんだ入院生活は、戻ってきた大介くんの環境を大きく変えていました。
長く学校を休んでいたため、今大介くんは2年生のクラスからの再スタート。だから、大介くんにとって今年の夏は3年生の仲間を「見送る夏」です。
神村翔一塁手「(僕たちは)同じ年に入学して同じチームとして野球をやっていたので、最後まで見てくれるというのは、チームとしても自分個人としても力になる」
喜友名大介くん「寝たきりの時でも、頭の中で自分が野球をやっているのを想像とかして、早くそうなりたいなと思ったから(気持ちが)折れそうになったとかはなかったです」
仲間を「見送る夏」と仲間のために「戦う夏」。病に負けなかった「折れない心」がこの夏、読谷に奇跡を生む!
池原翔也投手「あいつと一緒に(夏を)終わりたいというのは強い、今でも。でもあいつの分も自分たちが勝つことによって、あいつと長く野球がやりたいですね」
「読谷旋風 巻き起こすぞ〜!!」
大介くんはこの夏、記録員としてベンチ入りし、仲間と最後の夏を過ごします。めざせ甲子園、明日はたった一人の3年生がいる美里高校です。