県議会はあす、6月定例会が開会。沖縄県議会はこの6月定例会で発足から100年を迎えます。県議会は、沖縄が「自治」を勝ち取るため独自の変遷を辿ってきました。比嘉記者です。
今からちょうど100年前の6月。高嶺朝教を議長とする第一回の県会が開かれたのは廃藩置県、いわゆる「琉球処分」から30年後のことでした。
当時の沖縄の県会選挙は各地の町村議会議員だけが選挙権を持つ「特別県制」のもとでスタートしたもので、県内では自治権を求める声が高まり始めます。
こうした中、1920年に特別県制は廃止され、一般自治制が施行。
ところが、日本は軍国化への道を歩み大戦へと突入します。ようやく自治権を得た沖縄は戦禍にのまれ、沖縄県会も1944年に消滅。
終戦後、アメリカ軍に統治された沖縄には沖縄議会や民政議会などが設置されましたが、いずれも議会の権限は弱く、県民の自治権を求める声はさらに高まりました。
そして終戦から7年、復帰前の沖縄を支えた立法院が創立。三権分立のもとで立法権は規定されたものの、高等弁務官がこれを拒否したり無効にする権限を持ち、自治はまだ遠いものでした。
指名制だった主席の公選を要求する運動が高まり、デモ隊と機動隊が衝突した主席指名反対行動、また、多くの教職員らと警察が激しく争い本会議を中止させた教公二法反対闘争。自治を勝ち取り、沖縄のアイデンティティを確立しようと立法院は数々の闘争の場となりました。
1972年5月、立法院は沖縄の本土復帰にともない正式に沖縄県議会となりました。県議会が産声を上げたのはこの式典の4時間前のことです。
これは復帰当日の朝6時から始まった一回目の県議会の模様。この日から「沖縄県議会」として、新たな歴史が始まったのです。活発に議論をかわす県議会議員たち。戦前戦後、そして立法院の時代から県民の代表として選ばれた議員たちが、沖縄の自治を求めて話し合う姿は今も昔もかわりません。
県議会100年。これまでの議論とこれからの議論があすの沖縄を作っていきます。
あすは元立法院議員たちも迎えて琉球古典音楽の演奏とともに開会。県議会100年に関する決議を可決する予定です。