ドカーン、ドカーンと2度、全身が砕かれるような爆音「ウチナーンチュの命はどうでも良いのか?」
宮森小学校ジェット機墜落事故をテーマにした劇「フクギの雫」。この劇で三線を担当しているのは県立芸術大学大学院で琉球古典音楽を学ぶ喜納吏一さん。初練習の日、彼は劇に参加する理由をこう話していました。
喜納吏一さん「自分のおじいさんの子、僕からしたら、おじさんがジェット機事故で亡くなっています。劇に参加できることは僕にとって、おじさんのため、おじいちゃんのためと思ってやっていますので」
エンジントラブルを起こしたアメリカ軍のジェット戦闘機が小学校に墜落し、児童11人を含む17人が犠牲になった宮森小学校ジェット機墜落事故。
吏一さんの祖父・喜納福常さんも小学2年の二男を亡くしました。福常さんは病院で息子と対面したときのことは何年経っても忘れることができないと語ります。
喜納福常さん「寝台の上に横たわって寝ている姿を見たら、言葉もなかったですね、真っ黒く焼けて。」「あの当時のことはまだまだ目の前に浮かんで、絶対に消えることはないわけですね。」
元々吏一さんに三線を教えたのは祖父の福常さんでした。事故当時、軍に勤めていた福常さん。アメリカ軍に対して憤りを感じつつも、家族を養うため仕事を辞めるわけにはいかず、その苦しさを三線で慰めていたのです。
喜納福常さん「毎日の寂しさとか、色々なことを考えたらやっぱり三線だなということで、やりだしたのがちょうど3年後ですかね、亡くなって。」
その三線を引き継いだのが吏一さんでした。可愛い孫が成長し、三線の道に進んでくれたこと、いつも自分のことを思いやってくれることを福常さんは何より喜んでいます。
喜納吏一さん「おじさんのことで、苦しかったこともあるし、そういう中で僕が生まれて、生まれ変わりのように見えるかもしれません。喜ぶなら構わないです、じいちゃんが。」
劇の本番を前に、吏一さんの心が揺さぶられる出来事がありました。新しい墓の完成祝い。幼くしてこの世を去ったわが子のために立派な墓を建ててやりたいというのが福常さんの念願だったのです。このところ体調を崩し、入院していた福常さんですが、息子のためにと無理をおして出席しました。それは吏一さんも今まで見たことがないおじいさんの姿でした。
吏一さんは、そんな祖父の思いを三線で表現しました。曲は「散山節」。「本当のことなのか、わが心はぼう然として、夢を見ているようだ」とうたったこの曲。わが子の死を受けとめることができないという親たちの心情を表しているようにも聴こえます。
喜納吏一さん「隠していたんじゃないですかね、僕の前で、いつも笑ってるところしか見たことない。怒っているのみたことないから。」
つらいことも多かった祖父の50年と向き合った吏一さん。しかし、その三線の音色はおじいさんのように強く、優しく響いていました。