沖縄ロックのシンボル的存在の「ひげのかっちゃん」。そのかっちゃんが28年営業してきたライブハウスが先週で閉店しました。背景には基地の町・コザの厳しい状況がありました。
音楽の町・コザ。嘉手納基地の入口につながる「ゲート通り」には多くのライヴハウスがありました。
その代表格とも言える店が、ここ「ジャック ナスティー」。今夜もかっちゃんのパフォーマンスが炸裂します。
ベトナム戦争、荒れる米兵たち。沖縄全体にのしかかるアメリカ軍の重圧をはねのけるようなパワフルなステージで、一躍スターダムにのし上がった人気バンド「コンディション グリーン」。圧倒的なテクニックと度肝を抜くパフォーマンスは伝説にもなっています。
65歳になる今も、現役のロッカーであるかっちゃんですが・・・。
かっちゃん「ドルも下がったし、オフリミットも続いている。夜12時以降もあけたいんだけど、米兵は11時には帰れって言われている。憲兵が『閉店だ、さっさと帰れ』と入ってくる。『お前が帰れ』と言いたくなる」
ウィリーさん「もう大変。売上げも3分1に減った。ほかの店とかいっぱいつぶれちゃった。コザはもう駄目よ。新しいとこ行ったほうがいいと思う」
去年2月の暴行事件から始まった夜間の外出制限が1年たった今も続いていて、これは過去最長記録。加えてアメリカ経済の悪化、イラク戦争の拡大と、基地の町は厳しい状況が重なっています。
通り会・我喜屋会長「一昨年くらいからそれは身にしみています。イラク戦争が拡大して、海兵隊が送り込まれるようになってから、徐々に景気は落ちてきていた。今年になってから立て続けに閉めるところが出て来ました。すごく不景気という気はします」
コザの顔・ゲート通りにはこれまでなかった空き店舗も出て、路上生活者の姿も目立つようになりました。ライブハウスも減り、音市場からも音楽系の店舗が撤退してゲームセンターが入るなど「音楽の街・コザ」が揺らいでいます。
かっちゃん「別の名前は忍者屋敷」
ジャック ナスティー最後の日、かっちゃんは秘密の部屋を見せてくれました。
ステージにつながる裏口の階段。実はここは板をおろしてマットを広げれば・・・ベッドに早変わり。
かっちゃん「(Q:別のお家もあるんですか?)ないです。いまここだけ」
続けたくても、経営が限界まで来ているというかっちゃん。この日は店の売り上げ130ドルを両替しに来ましたが、ドル安が直接響きます。
同じくゲート通りで、こちらは16年続いているライブハウス「JET」。やはり去年は経営が厳しかったそうですが、かっちゃんには何とか店を続けてほしいと言います。
ターキーさん「信じられない。絶対信じられないな」
こうちゃん「嘘だよお。おれも嘘だと思うね」
ターキーさん「かっちゃんが閉めるわけないでしょう。俺達、10年前にもにも今日でもう最後っていうから、パーティーを一緒にやったことあるんだよ。翌日また開けてた」
ジャック ナスティー、最後のステージ。かっちゃんは客に別れを告げることなく、いつものようにステージは進行しました。
店は閉めても、生涯現役でロッカーをつづけるというかっちゃん。しかし、コザロックの象徴だった店が消えたことは一つの時代の転換を感じさせます。
このニュースが誤報になってもいいから、ぜひ、また店を続けてほしいです。