今年の県内スポーツ重大ニュースの一つに、北京パラリンピックで県勢初の銀メダルに輝いた、上与那原寛和選手の活躍があげられますが、その上与那原選手が、昨日の宜野湾車いすマラソンに出場しました。
今年、節目の20回大会となった「宜野湾車いすマラソン大会」障害を持たない一般の参加者も出場出来る大会には、275人がエントリー!華やかに幕を開けました。海浜公園歓海門をスタートする大会は、21.0975キロのハーフマラソンと、一般の参加者も多く出場する5キロ。そして、電動車いすでも参加できる1.5kmのトリムマラソンの3つのコースに分かれました。
笑顔の女の子「初マラソン頑張りま〜す」
さて、大会の見所の一つは、競技性の高いハーフマラソン。速さを追求する競技だけに、その車いすも、一般のものとは違い、風の抵抗を考え、重心は低く、先端が垂直になったものでトップレベルの選手の平均時速は30キロ。下り坂にもなると50キロ〜60キロものスピードが出るのです。
全国各地から集まったトップランナーの中で、あの北京パラリンピックで県勢初の銀メダルを獲得した上与那原寛和選手の姿がありました。
上与那原選手「クラス別ではトップを狙うように頑張って、そして全体、総合でですねどうにかトップ10に入れるように」
大会3日前、うるま市で、所属チーム「タートル」のメンバーと調整に汗を流した上与那原選手。北京以降、大きな注目を集め、忙しかった1年を振り返りました。
上与那原選手「感動しましたとかやっぱり勇気をもらいましたとか、そういった声は大きいですね」「(今年は)今までやって来たことの全てを出し切った年になりますので、本当にやっぱり自分にとって充実だったし」
上与那原選手の活躍は、他の同じような障害を持つ人たちにも大きな影響を与えました。上与那原さんに車いす競技を勧めた仲間達は・・・
山之端さん「良い刺激になったと思いますよ」川満さん「何かあの影響されているよね」山之端依子さん「障害持っている方で、これからどういう風にしようかなと考えている子ども達とか、私達もそうなんですけど、同じクラブのメンバーもそうですけど、すごい影響が大きかったですね。今回のメダルが!」
与那原選手「このクラブに自分は育てられましたから」
上与那原さんは、今から9年前、28歳の時にバイクの事故で頸椎(けいつい)を損傷、両手両足が麻痺してしまいます。
上与那原選手「最初は右見ても左見ても真っ白状態ですから。もう何も手につかない。」
そんな状態の中、リハビリを兼ねて始めた競技でチームの仲間と出会ったのです。そして、持ち前の明るさで、新たな世界を目指しました。
上与那原選手「(過去の出来事を)後のことを(くよくよ)考えてもどうしようもない。もう前向き前向き、前のことしか考えない」「いかに楽しく生きていくかだと思うんですよね」
さて、大会の見所はもう一つ、沿道からの熱い声援です。今年は宜野湾市内の小中高校生を中心に総勢875人がエールを送りました。
沿道の声援「目指せ完走!頑張れ〜!頑張れ頑張れ!負けるな〜」
応援する子ども達は、選手のゼッケンを見て名簿を確認。一人一人、名前を呼んで声援を送ります。
沿道の声援「1番!1、1、山本さ〜ん、頑張って下さ〜い! 手を振る」「鈴木あきよしさん頑張ってください!」
これは、車いすマラソンの毎年の応援風景。こうして地域のあったかい支えで、20年の歴史を刻んできたのです。
上与那原選手「ガンバレーとか言ってくれるんで、それはもうやっぱりすごい力になりますし」
応援風景「上与那原さん頑張って下さい!お〜〜!」
ところが、この日のコンディションは朝から、冷たく、強い海風が吹き付け、選手の行く手を阻みました。
上与那原選手「風が、たぶん今まで自分が走った中で一番強いと思います」
一見、危険はなさそうな車いすマラソンですが、勢いあまって、コーナーで転倒したり、車いすの調整が合わないと、車輪に腕が接触し、ひじをすりむいてしまうこともあるのです。
風の強い抵抗を受けながらも、上与那原さんがゴールの歓海門をくぐりました。
上与那原選手「お疲れ様でした。ありがとうございます」記録は56分21秒! 総合では目標だった10位以内にわずかに及ばず、ゼッケンと同じ番号の11位。しかし、頚椎損傷の部では、見事優勝を果たしました。
この後も、各コースで続々とランナーがテープを切り、ゴールは、沢山の笑顔の花が咲きました。
斉藤貫太くん「頑張れ!頑張れ!」「応援とかすごく楽しかった」
上与那原選手「(来年の抱負)気持ちを切り替えてですね、またあらたに初心に戻って4年後といいたいのですが、2年後の世界選手権を目指して、ロンドン五輪は視野に入れてあとは頑張っていきたいと思います」
上与那原選手は、早ければ来年3月熊本のチャレンジ選手権に出場する予定です。
北京パラリンピック陸上男子マラソン(車いすT52)で銀メダルを獲得した上与那原選手は、北京パラリンピックで200メートル、400メートル、800メートル、フルマラソンの4種目に出場。フルマラソンで日本記録を樹立し2位となったのをはじめ、全種目入賞を果たした。