ブラジルリポート、きょうは二回目です。先月サンパウロ州で行われた記念式典は総勢5000人を超す参加者で賑わいました。
戦前に海を渡った一世から、現在は二世や三世が日系社会、そしてブラジルを支える主要な世代となりました。現在、ブラジル教育界で活躍する二世の姿を追います。
移民100周年の式典会場。多くの参加者が集うなか、この100年に功労のあった人々に知事からの特別賞が送られ、また、日系社会の基盤を作ってきた一世に対しても特別功労賞が送られました。
花城淑子さん(長寿者表彰)「(Q:沖縄のこと思い出すことがありますか?)あります。生まれ国はぜんぜん忘れない。いつも(歌を)口ずさんでいます。ちょっと歌いましょうか。♪我や沖縄 やんばるの白百合どやたみ 御縁あてブラジルに ただ一人ぬ 里前頼てぃ♪」
一世の深いしわに刻まれた、喜びと悲しみ、数々の歴史。いまブラジルの日系社会を支える世代は、一世から二世や三世へと受け継がれています。
県系人特別功労賞を受賞した、坂元・久場綾子さん。坂元さんはサンパウロ市内で名門と呼ばれる私立学校を経営する教育者です。長年にわたり教育に携わってきた社会的な貢献が認められ、今回の受賞となりました。
坂元さん「勇気があったわけね。自分を試すために学校を始めたわけです。自分にどれくらい力があって(生徒の)親に信用してもらえるのか、私を試したかった」
坂元さんが学校を作ったは1972年。公立小学校の教師を辞め、自宅ガレージに、自費で購入した机といすを並べて幼稚園を始めたのです。絵や工作、音楽など、基礎教育を施す坂元さんの幼稚園は評判となり、小学校・中学校、そして最終的には大学まで設置された大きな一貫教育校にまで成長したのでした。現在の児童生徒数は1200人。語学や情報処理、哲学といった専門分野まで学ぶことのできる、ブラジル国内でも有数の名門校となりました。
坂元さん「やはり私たち子どものころ、戦争で日本語が勉強できず、家でお母さんが子どもたちに教えてくれた。そのイメージがあるから“人に教えることの大切さ”に気付いたと思います」
師範学校を卒業した敬虔なクリスチャンの母、そして県出身でもと医師の父という家庭に育った坂本さんは、幼いころから、そして教師となってからも、教育の重要性を教えられていました。
坂元さん「『生徒に教えるという仕事はただの仕事じゃない。使命なのだから、いくら大変でも辞めないで、神様が見てるからやっていける』という(母の)言葉をいつも噛みしめていました」
80年代のインフレなど、大きく社会が変化し、補助金や賃金などの教育政策もかわるなかで、学校経営は困難を極めましたが、坂元さんは使命感をもって学校を守り続けました。
坂元さん「7〜800人の生徒がいて、お金があまりに大変で、辞めるかどうしようかという気になったこともあります、20年くらい前に。そのころ思ったのは自分の幼い頃とかお父さんの難儀したこととか。やはりこれが自分の道だと思ってやり続けました」
いまもブラジルは国民の一割が文字を読めず、社会的格差のなかで教育を受けられない子どもや貧困による犯罪の多発などの問題を抱えています。坂本さんは教育をもって、ブラジル社会に貢献したいと考えています。
坂元さん「教育もmuito importante(とても大事)。だけど人間としての人格も一緒に伸びないと難しいと思う。経済とかいろんな面はありますけど、ブラジルほどいい国はないと思っています、何でも自由にできますから。何かを経営したかったらできます、学校経営もできる。自分にその力さえあれば。何でもできる国でしょう」
教育をもって社会に貢献したいと語る坂元さん。ブラジルの基盤を作った一世の心は、確実に二世に受け継がれ、社会を支えています。
ブラジルリポート、あすはブラジルで働く沖縄の若者が見つめる「日系社会のこれから」を考えます。