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事件や事故の被害者遺族を支援しようと、強盗事件で夫を亡くした女性がおととし設立したひだまりの会。動き始めて2年、様々な活動をするなかで、彼女が目指す会のあり方が見つかったようです。

先月末、犯罪被害者の支援グループ「ひだまりの会」の設立2周年を記念するシンポジウムが開かれました。「ひだまりの会」は事件や事故の遺族が悲しみを癒せる場をつくろうと、強盗事件の遺族・川満由美さんがおととし設立しました。

川満さん「当事者しかわかりあえない憤り、苦しみを支援していく場が必要ではないかと思いました」

川満さんの夫・正則さんは2005年2月、那覇市の路上で強盗に顔面を傘で刺され、死亡しました。事件の8日前には二男を出産したばかり。幼い子どもを抱え、不安でいっぱいだったといいます。

川満さん「子どもが夜泣きをするんですよ。お父さんに会いたいといって。私も精神的にしんどいときには会いたいよねって一緒に泣くと、お母さんも悲しいの?って聞いてくるんです」

そんなときに川満さんを支えたのは全国の遺族たちからのメールでした。

「一人で抱えて行けるほど強い人はいない。辛いときは何もしなくていい」

同じ痛みを体験した者同士だからこそ、支え合えたのだといいます。

会の活動を始めて2年、メンバーはまだ4人ですが、活動は少しずつ広がっています。

1月には県内では初めて「命のメッセージ展」を開催。事件や事故で亡くなった人たちゆかりの物を通して、命の大切さを考えようというイベントには500人以上が訪れました。

そんな川満さんにとって一番の気がかりはやはり2人の息子たち。事件当時3歳だった長男もこの春小学生になりました。今でも父親のことを思い出しては泣きだすことがあるといいますが、幼いながら精一杯寂しさを乗り越えようとしています。

川満さん「一番心配なのは子どもたちが思春期に入ったときに、事件(の影響)がどう現れてくるかが心配」

こうしたなか、川満さんは去年、加害者を相手に1億円の損害賠償を求める裁判を起こしました。相手は服役中の身、裁判に勝っても賠償金が支払われる保証はありません。それでも裁判を起こしたのは、いずれ事件と加害者と向き合うことになるであろう子どもたちのことを考えたからです。

川満さん「子どもたちが(加害者に)会って話したいとか、しっかり謝罪してほしいとか、損害賠償を実行してほしいという気持ちがあったとき、つなぎとして、民事をとっておきたいと思った」

川満さんとともに活動する遺族はこう語ります。

富永広美さん「元に戻せないことを引きずって生きることはとても重いこと。できることは被害者家族がお互いの胸のうちをさらけ出すことで、一人じゃないんだという勇気を持つこと。被害者が安心して泣ける場があっていいと思います」

そして事件以降、一家の長として、また会の代表として励んできた川満さん、ひだまりの会の将来をこう語ります。

川満さん「残された家族のあり方が問われてくる。そういう家族をきちんとケアできる場所作りをしたいと思う」

「ひだまりの会」を傷ついた人たちにとって温かく、安らげる場所にしたいという川満さん。ゆっくりではありますが、子どもたちと一緒に前を向いて歩いています。

取材を続けている島袋記者です。

島袋記者「遺族の取材をしていると、事件や事故の後に、家族の間でいざこざが絶えなくなったなどという話を耳にします。本来ならばこういうときこそ支えあわなければならないのが家族のはずだと思うのですが、余りにも深い悲しみにあうと互いに思いやることもできなくなるということなんですね。設立から2年たって、川満さんはひだまりの会を『家族のケアを重点的に行える会にしたい』と話していましたが、やはり子どもたちとの生活を通して、家族が支えあっていくことの大切さを痛感したからこそ、そんな目標が見つかったのだろうと感じました。これからも見守りながら取材を続けたいと思います」