先週末、沖縄市で朗読劇「人類館」が上演されました。明治時代、沖縄の人たちが見た目や文化の違いから見世物にされたという人類館事件。事件から105年が経ち、公演された劇には、ある大切なメッセージが込められていました。
『わが「人類館」は、世界中のいたるところで差別に遭い、抑圧に苦しみ、迫害に泣く人種、民族を色とりどりに取り揃えてございます』
朗読劇「人類館」。明治時代の1903年、大阪の博覧会で、沖縄や朝鮮半島の人たちが顔立ちや言葉の違いなどを理由に、人類館という名の見世物小屋に展示された実際の事件を題材にしています。
作品に挑んだのは県出身の俳優・津嘉山正種さん。沖縄出身の男女と彼らにムチを振り回し、罵詈雑言を浴びせる男の3役を演じました。
津嘉山正種さん「差別する対象をどこかで見つけていってしまうという、人間の持っている根深い業みたいなもの、そういったものを、過去にこんな事件があったことを指し示すきっかけになるんじゃないかと思うんです」
劇では人類館事件をベースにしながらも、明治以降、様々な局面で、日本人らしくふるまうよう強制され、戸惑うウチナーンチュの姿が描かれています。
この作品が書かれたのは、沖縄が本土復帰して4年後の1976年。脚本家の知念正真さんは本土化を目指して突き進むうち、ウチナーンチュ自身が自分たちの文化をないがしろにしているように見えたのだといいます。
脚本家・知念正真さん「ヤマトゥンチューになろうと努力したけれど、それが逆手に取られて利用されての繰り返しじゃなかったかと」
歴史に翻弄され、アイデンティティを揺さぶられるウチナーンチュたち。作品ではその象徴として言葉の問題がとり上げられています。
方言を使うことを禁じられ、標準語をしゃべろうと努力するけれど、うまくしゃべれないウチナーンチュの葛藤。
それは演じる津嘉山さんにとっても、若いころの自分と重なる体験でもありました。
津嘉山さん「片っ方でウチナーグチ、東京弁、ト書きも東京弁、これがが時々間違えて…」
実は津嘉山さんと知念さんは古くからの知り合いです。津嘉山さんが俳優を志し、上京するとき、自身も東京の劇団に所属していた経験がある知念さんには心配がありました。
知念さん「物すごく言葉について徹底的に叩き込まれたというか、訛りを直すために。我々は言葉の訛りを直さないとしゃべれない、一人前にはなれない、役者にはなれないということがあったりしたものだから」
しかし津嘉山さんはアクセント辞典を全部暗記するほどの猛勉強の末、言葉の壁を克服。若いころは忘れようとすら思っていた沖縄の言葉も、大切な文化だと思えるようになったといいます。
津嘉山さん「若い子たちは、しゃべる言葉もそれから聞くことすらどういう意味もわからないという風になっていると思う。沖縄の持っている言葉の文化を誇りを持って語るべきだし、伝えていくべきだし」
劇では沖縄戦や復帰運動など、沖縄が、そしてウチナーンチュが歩んできた道のりが描かれました。津嘉山さんは、方言と標準語、そしてウチナーヤマトゥグチを使い分け、90分の朗読劇を演じきりました。
観客「そういう扱われ方したのは嫌だと思うけれど、歴史のなかの一コマとして受け入れないといけない、ただそういうことがあってはいけないんだろうなと」「今の世の中、沖縄が抱えている問題に重なるものがあって、重ねて考えさせられることがたくさんあった」
105年前の事件を題材にした劇。その背景にはふるさとの文化や言葉に誇りを持っていこうという未来へのメッセージが込められていました。
津嘉山さん「ウチナーヤマトゥグチは肉体から発せられる体温がこもった言葉。堂々と、ウチナーグチを誇りとして語ることができて嬉しい」
差別の問題というのはとても根が深いのですが、差別される側も差別を逃れようと、自分たちの文化をなおざりにしたり、自信を失くしてしまうという側面があります。沖縄戦や本土復帰など激動を重ねた沖縄ですが、言葉や文化に誇りを持って未来に紡いでいきたいという思いがします。