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ネルソンさん「沖縄の海兵隊が一番に教わるのは『人殺しの方法』です。」

米軍基地、そして兵士たちのことを危険な存在だと指摘するのは元海兵隊員のアレン・ネルソンさん。今説明しているのは人型の標的。42年前、金武町のキャンプハンセンで使っていたものです。ネルソンさんはキャンプハンセンで「人殺しの方法」を徹底的に教え込まれたと話します。

ネルソンさん「キャンプハンセンで訓練をしていたとき上官がたずねた。『お前たちは何がしたいのか』と。すると我々はできるだけ大きな声で叫んだ。『殺せ』と。」

かつては上官の命令に忠実な軍人だったネルソンさん。彼を平和運動に駆り立てたのはある壮絶な体験でした。1960年代初頭からベトナムを南北に二分し、激しい戦闘が展開されたベトナム戦争。そこに介入したアメリカ軍は、村々を焼き払い住民を虐殺するなど残虐な行為を重ねました。犠牲者は両国で300万人以上。ネルソンさんもこの戦争に従軍し多くの仲間を失い、自らも数えきれないほどの命を奪ったと告白しています。

ネルソンさん「私はベトナムで何人も死ぬのを見ました。私はベトナムで本当の死は映画と違うと知りました。」

敵を倒すことは軍人の職務だと割り切ったつもりでも、その体験は耐えられるものではありませんでした。ネルソンさんは心の後遺症に苦しめられたのです。

ネルソンさんの著書から「炎に包まれる家々、恐怖に満ちた叫び声、あちこちに人々が倒れ、血を流したり、手足が千切れたりしています。私はとてつもない恐怖に襲われ、張り裂けるような叫び声をあげます。」

18年にわたる治療の経て、彼は今、各国で、戦争の悲惨さを訴えています。親友の宜野座さんはこう語ります。

ネルソンさんの親友・宜野座映子さん「フェンスの向こうで毎日殺すことだけ教えている、でもフェンスのこっちで私たちは一緒に生きていこうといっているのに。これほどの違いを自分がかつて経験した自分しか伝えられないという思いがあるのだと思います。」

この日はネルソンさんはキャンプハンセンの街を歩きました。ベトナム戦争のころ、ここは多くの兵隊たちで賑わっていたそうです。

ネルソンさん「ここには売春婦が立っていて、『ねえ一杯おごって』と声をかけてくるんだ。」

戦後63年経った今も残る広大な米軍基地。依然としてなくならないアメリカ兵による事件や事故。ネルソンさんはこうした背景には、兵隊たちの多くが貧しい家の出身で、十分な教育も受けられなかったこと、無知が大きな要因だと話します。

ネルソンさん「お前は戦士であり、海兵隊員だ。何も考えず、言われたとおり動け。絶対だぞ、言われたことだけやれと命令される。だけどもし、韓国がアメリカに基地を作って、女性をレイプしたり、事件や事故を起こしたらどう思うかと聞くと、みんなこういう、「そりゃ怒るよ」と。そこまで言ってようやく彼らは沖縄の人の気持ちがわかるのだ。」

ネルソンさんは学生たちに『軍隊は決してよき隣人ではない』、『彼らの実態を正しく知ることが重要』なのだと訴えました。

ネルソンさん「沖縄の人、特に若者は沖縄の将来について考える機会が来ていると思います。アメリカ軍が沖縄にある限り、君たちに未来はありません。」

学生「知らないということ、無関心ということは一番問題を悪くしている要因ではないかと思って。」

学生「自分たちが望めば変わるんだなあ、あきらめないで考えて、自分たちで行動していかないといけないと思いましたね。」

今もベトナムのことを話すと恐怖に襲われるというネルソンさん。けれど、勇気をもって語り続けるのは生き残ったものの責務だと感じています。

ネルソンさん「もしも願いが叶うなら、人殺しはしたくなかった。ベトナム戦争の話をすることはとても苦しいみんなに話すのも苦しいそれはもう抑えられない恐怖だ。でもある日気がついた。(ベトナム戦について)子どもに伝えなければならないと私の話を聞いて、一人でも良いから戦争はダメだと考えてくれれば良いと。」