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49年前のきょう6月30日にアメリカ軍の戦闘機が墜落し、11人の児童が犠牲となったうるま市の宮森小学校で追悼集会が開かれました。
1959年6月30日、嘉手納基地を飛び立ったアメリカ軍の戦闘機が宮森小学校に墜落。児童11人が犠牲になりました。
全校児童が参加する中、犠牲となった児童の名前が刻まれたなかよし地蔵に千羽鶴が手向けられました。そして集会では、事故当時宮森小の2年生だった平良義男校長が「一人一人が平和をつくるピースメーカーになってください」と子どもたちに呼びかけ、6年生全員で「私たちは誓います。永遠に平和の鐘を鳴らすことを」と、平和の誓いを述べました。
集会には当時の学校関係者や遺族も出席し、遺族の一人は、「来年は50年になりますけれども、私たちにとってはまだまだ幼い子どもだということで、目の前にはそう浮かんでくる」と語りました。
また、平良校長は「その惨事から命と平和の尊さを発信する役目がある」と話していました。
「事故を風化させない」。宮森小学校では、事故から50年となる来年2009年に向けて、「宮森630館」という平和学習室の設置を進めています。