慶良間諸島の沖合い、水深45メートルの深場で今も眠り続ける沖縄戦当時の沈没船。63年がたった先週、初めてその姿をカメラが捕らえました。
この日、港に集まったのは、私たちQABのスタッフと水中カメラマン、ダイバー、そして漁師。私たちはある情報を元に、慶良間諸島に向かいました。
情報の主は金城吉克さん。漁師の金城さんが沈没船を発見したのは、今からおよそ30年前。
金城吉克さん「軍艦というのはわかっていたが、誰にも教えなかった。その場所でものすごく釣れたから」
体を壊し、潜るのを止めてから18年。今回、沈没船の情報を提供したのです。遠くの島の位置を確認しながら、正確に沈没船が眠る場所をあてます。
金城さん「こっちだこっち、もう少しあそこだな」
実近記者「いま、ポイントが打たれました。あちらに見えるのが渡嘉敷島です。ちょうど慶良間諸島の南側ということになります」
「黙祷・・・」
現場の水深は45メートル。プロのダイバーにとっても、かなり深いポイントです。
マリンクラブ グランブルー・山川勝章さん「先発隊が入って(沈没船に)アンカーロープ固定して、そのあとにカメラマンと後発隊が潜っていくと」
潮の動きが止まるわずかな時間を狙って潜ります。
「行きまーす」
一気に45メートルの海底に進みます。見えてきました、沈没船です。
船底を上にしています。はっきりと確認できる2つのスクリュー。スクリューの直径は2メートル以上、大きな船です。スクリューを守るように、左右に柵のようなものが確認できます。
船の部品でしょうか、歯車のようなもの。周囲には残骸が散乱しています。沈没船の下側、本来、船の上の部分はほとんどつぶれるか、海底に埋もれてしまっています。
この沈没船につながる情報は、インターネットにありました。
アメリカ海軍の公式ホームページでは、これまで世界中で沈没した海軍の船の情報を公開しています。今回発見したほぼ同じ位置に、該当する船がありました。
LST-447。戦車を直接陸上にあげる戦車揚陸艦です。全長は100メートル、総トン数1650トン。資料によると447は、アジア太平洋海域で任務につき、1945年4月7日、沖縄で神風特攻隊の攻撃を受けて沈没しました。
資料には、447が慶良間沖で特攻隊の攻撃を受けた瞬間の写真も残っています。
アメリカ軍の沖縄上陸を阻止するため、日本軍が4月6日から実施した大規模な特攻作戦、菊水作戦によるものと見られます。
4月6日の作戦初日だけで、およそ300機の特攻機が飛び立ち、日米双方で600人余りが戦死するという、壮絶なものでした。海底に眠る沈没船の平坦な船底は、揚陸艦の特徴です。
またスクリューの回りの柵の形状は、在りし日の447のものと、全く同じです。
船底には穴が開いています。大戦末期の特攻作戦では、敵艦を沈没させるまでにはいたらないものが多く、航行不能になった船はアメリカ軍が自ら爆破し、沈めたとされています。
水深45メートルの取材は、15分が限界でした。
水中カメラマン・長田勇さん「まだ潮止まりとはいえ、ゆっくり流れているので、(船の)前まではいけなかった」
沈没船は、船体が真ん中辺りで真っ二つに折れた状態で沈んでいました。最初に発見した金城さんも、20年ぶりに船の姿を確認しました。
金城さん「もう年数がたって、サンゴがついて。昔とそのまんま」
山川さん「可能であれば、どうなったのか。米軍が(沈没船の)場所を特定して慰霊というのをしているのかどうか、気になります」
いま、サンゴも根付いた沈没船は魚たちの格好の住処となっています。美しい海が軍艦で埋め尽くされていた63年前の慶良間諸島。沈没船は水深45メートルの海底で、今も静かに戦争の記憶を伝えています。
沖縄近海では、これまでに多くの沖縄戦当時の軍艦が沈んでいるのが確認され、そのほとんどが戦後のスクラップブームで引き上げられました。しかし、ご覧のように深場にはまだいくつかの沈没船があまり、知られることなく眠っています。