県内最大の美術公募展、沖展が昨日から始まりました。戦後間もなく、数十点の絵画を集めた作品展からスタートした沖展は、今回で60回という節目を迎えます。
この沖展を静かに、そして熱く見つめる一人の画家に聞きました。比嘉雅人記者です。
ことしも多くの作品がならんだ沖展。県内最大の公募展には、毎年おおくの観客が訪れます。
その一角にあるのが、この沖展を生んだ、戦後美術界を支えた作家たちの作品展。名渡山愛順、山元恵一など、そうそうたる作家たちの作品がならび、当時コンセット建てだった沖縄タイムス社で開かれた記念すべき第一回の沖展記念写真が飾られています。
画家、安次富長昭さん。先輩たちの作品に出会ったのは1950年の琉大の学生当時、第二回展の会場でした。
安次富さん「その年に沖展が那覇高であるというもんだから、それを見に行ったわけです。そこでものすごく感動して。それからは沖展会場というのは自分の道場。当時は壺屋小学校とか、小中学校の校舎をつかって、春休みの期間中」
誰が呼んだか、ジプシー美術展。当時、美術展を開けるような施設はなく、市内の学校の校舎を春休みに借りて、沖展は開催されました。いまでも3月の開催期間が定着しているのは、この頃の名残り。苦しい暮らしの中で、心の豊かさを求めて止まなかった時代。数日間の開催で20万人の来場者を記録したこともあります。芸術家も観客も、いっしょに芸術を育んでいたのです。
安次富さん「手作りだった。みんな自分たちで会場をつくり、そこで絵を飾って、そして県民にみてもらって自分を試す」
現在は会場も定着し、多くの人々が出展する公募展となりました。平和で豊かなこの時代こそ、安次富さんは沖縄に向き合い、生涯をかけて芸術に取り組む人が沖展から生まれることを願っています。
安次富さん「沖縄をどう捉えるか、ですよ。そして自分をどう、その沖縄の中に自分を置いて、どう表現するかが一生の仕事。死ぬまで俺は絵を描くぞ、絵描きになるぞという人が少しでもいれば、(このなかに)2,3人でもいればいい。5人もいたら大成功ですよ、沖展は」
沖縄の今を描く作品ももちろんですが、これまでの歴史を展示したコーナーも興味深いですね。第60回沖展は浦添市民体育館・美術館で開催中です。