沖縄戦では住民の4人にひとりが命を失いました。赤ん坊からお年寄りまで、礎に刻まれたひとりひとりの人生を「戦争」が断ち切りました。
「なぜ日本は戦争をしてしまったのか」私達はこの反省の元、二度とこの過ちを繰り返さないと誓い、戦争体験者は子や孫に戦争の醜さ怖さを語り、教科書でも戦争で何が起こったかを記してきました。
しかし、今年、その沖縄の思いは、大きく揺さぶられました。
中村武次郎さん「(検定内容)聞いた時は怒るというか、びっくりしたよ」
高校の「歴史教科書」。集団自決について「日本軍による強制」という記述を修正・削除するよう検定意見がでた。文科省の言い分はー
『旧日本軍の強制命令があったかどうかについては言えないという近年の学説に基づき判断した』
「直接の軍命があったかどうかわからない」これには戦争体験者や教育現場からすぐに反発の声があがりました。
与儀九英さん「敵上陸の暁は全員玉砕あるのみと、私はこの時の隊長の言葉は今でも忘れないです」
市町村議会や県議会は、次々と抗議決議を可決。しかし、文科省はそっけない態度。
伊吹前文科大臣「全ての集団自決に軍の関与があったというわけではない」
県民「間違った事を政府がして、そのまま通すという自体おかしいですね。本当はこれは知っているはずですがね。どうして曲げるんでしょう」「いまさら教科書からこれを抜くなんてね、これはもう少し勉強していただきたいと思います」
「日本軍」という主語をあいまいにしては、子ども達に誤った歴史を教える事になる。体験者は重い口を開きます。
宮里さん「自分で校長先生は、首をきったんです。1回やったと同時にぱっと血が吹き出ました」
集団自決の体験者の中には重い口を開き、戦争を知らない子ども達に、これまでよりもさらに踏み込んだ内容を話すようになった人もいます。
宮里さん「(Q:この集団死のことを話すきっかけはなんですか?)このような悲惨な戦争はあってはいけない、体験していない人にも分かってもらう」
検定意見を撤回させるために強い意思表示を。人々は「県民大会開催」へと動き出しました。
そして当日。
嶺井カメラマン「上空から見ていても、切れ目無く続々と人が集まってくる様子がわかります」
参加者「戦争をじかに受けた沖縄だから、絶対に撤回させないといけないです。」「もうすぐ親になるので、やっぱり子供の世代にもちゃんとした事実を伝えていきたいという気持ち」
子ども達が使う教科書の史実を歪めてはならない。その危機感が人々をこの場所に集めました。
吉川嘉勝さん「教科書は沖縄だけのものではありません。そして今だけの問題でもありません。次の世代を育む大切な教材です」
そして、若い世代自身も訴えました。
高校生「教科書から軍の関与を消さないで下さい。あの醜い戦争を美化しないでほしい。たとえ醜くても真実を知りたい、学びたい、そして伝えたい」
会場を埋め尽くした県民の声に押され、やっと大臣が要請団との面談に応じました。
仲里議長「これまで口を閉ざしていた多くの体験者が、子ども達に誤った歴史を教える危機感から重い口を開き、ようやく語り始めています」
大臣自らが要請団に会い、県民の声を聞きました。しかし渡海大臣は検定意見撤回への明確な回答を避けました。そして9日後、「申請訂正がなされた場合、承認は可能」と記述修正の可能性は示唆したものの、県民が求めている撤回については否定。
渡海文科大臣「検定意見そのものの撤回にはならないのではないかと」
訂正申請をした教科書会社に、文科省は「直接の軍命」については書かないように示唆しました。
それでも、沖縄は訴えを止めません。戦争の代償の大きさを知っている者の責任として、子ども達の未来を守りたいから。
平田文雄さん「戦争はとにかく人を野獣にします。そのためにも教科書はありのまま伝えてほしいと思います。今の子どもたちは事実を教えないと、戦争体験の人がひとりびとり消えていきますからね、年齢的に。真実を伝えないといけない」
検定意見の背景には、日本軍の関与を薄めたいというグループによる思惑が見えてきます。その「思惑」によって沖縄戦の歴史を歪めてはいけない。戦争の傷をさらけ出しても、次の世代に戦争の醜さを伝えなくてはいけない。
その信念がこの9ヶ月、県民の気持ちを支え続けています。しかし「検定意見の撤回」の結果は、まだ見えないまま、年内にも県民大会実行委員が上京します。