那覇市内の小学校で掛け声をあげているのは、地元に住む若者たちです。
比嘉晃さん「まだの人、でてやって、はい!」
若者達の指導に当たっているのは比嘉晃さん。西の陣頭指揮をとるリーダーで、西綱方を勤めています。
晃さん「すこし緊張していますね。本番にはちゃんと調整できます」
那覇大綱挽の起源は16世紀頃。「那覇四町綱」と呼ばれる綱挽が、文献資料に記される最初の記録とされています。
新垣勇理事長「那覇の町の綱というのは、記念のためにお祝い綱として挽いたんじゃないかと」
那覇の大綱挽は1936年から途絶えていましたが、復帰前年の1971年に市制50周年を記念として、当時の市長らにより復活しました。今では世界一の綱として、ギネスにも認定されています。
もうひとり、練習を厳しい目で見守るこの人。晃さんの兄、稔さんです。実は稔さんも西綱方として活躍し、6年前にその西綱方を晃さんに託しました。
2人が大綱挽に携わるきっかけとなったのは、空手の師匠であり、第一回那覇大綱挽実行委員としても尽力された比嘉佑直さんからの誘いでした。
稔さん「(大綱挽の)復活前から那覇にはすごい祭りがあるよ、ということをたびたび稽古後に聞かされていた。旗持の勇壮さとか、その綱挽の自慢というか」
2人は、綱方を務める以前は旗持として活躍。次第に大綱挽の魅力に魅せられていきました。
晃さん「妊婦さんのお腹が大きいときは、旗頭持っている人のさらしをほしいと。立派な子が生まれるようにと、非常に名誉あることです。今年はもちろん西が勝ちます」
まつり前日、巨大な綱の運搬作業が始まります。綱挽きが行われる国道58号線の中央分離帯も、祭りのために撤去可能なものです。
晃さん「今日は天気がいいから、非常にいい綱挽きができると思います」
晃さん「ついつい調子に乗って(旗頭を)持ちました。本番の綱挽きですが、気合を入れてがんばります」
いよいよ、まつりもクライマックスへ。その時が近づくにつれ、会場の熱気が増していきます。この日の観衆は、20万5000人。晃さんの表情にも気合が入ってきます。
西の女綱がじりじりと東の男綱のほうに動いていきます。晃さんは綱に乗り、勝利を引き寄せようと気合の入った拳で指揮をとり続けます。
勝負から27分、今年は東に軍配があがりました。
晃さん「気合だけは負けないようにしたけれども、東のほうがちょっとだけ上でしたね。来年はまた作戦を練り直して、勝てるように頑張りたいと思います」
まつり復活から、多くの人々の熱い思いに支えられてきた那覇大綱挽。その熱い思いは、これからも絶え間なく受け継がれていくことでしょう。
晃さん「疲れました!エネルギーを全部使い果たしました!ビールをいっぱい飲みたいですね!あははは!」