大阪地裁を訪れたのは宮城晴美さん。沖縄戦の集団自決を巡る裁判の証人です。
沖縄戦当時、座間味島に駐留していた日本兵が、ノーベル賞作家の大江健三郎さんと岩波書店を相手に起こした「大江・岩波裁判」。大江さんの「沖縄ノート」で集団自決を命令した張本人とされ、名誉を傷つけられたというのが、元日本兵の訴えです。
宮城さんは大江・岩波側の証人として、集団自決の責任は日本軍にあると証言しました。
宮城さんのふるさと・座間味島。今は観光客で賑わう島も戦争では多くの人が犠牲になりました。中でも、170人以上もの犠牲者を出した集団自決は沖縄戦の悲劇の象徴とされています。
彼女がこの裁判に関わったのは1冊の本がきっかけでした。「母の遺したもの」は宮城さんが母・初枝さんの戦争体験記をまとめたものです。しかし、この本の一部が後に「集団自決に日本軍は関わっていなかった」という証拠としてとり上げられることになったのです。
当時、女子青年団のメンバーとして日本軍と行動を共にしていた初枝さんの証言。
「助役は隊長に『老人と子どもたちは軍の足手まといにならぬよう忠魂碑の前で玉砕させたいと思いますので弾薬をください』と申し出ました。しかし隊長は沈痛な面持ちで『今晩はお帰りください』と申し出を断ったのです」
弾薬を求める助役の申し出を隊長が断った。この証言が拡大解釈され、思わぬ問題に発展したのです。
宮城晴美さん「母としては、そういう風に公になるとは思わなかったので、そこで非常にショックを受けるわけです。当時の座間味の村長たちからも問題じゃないかといわれたし、島の人たちからも色々批判があったわけです」
軍が関わっていないとすれば、集団自決の責任は誰にあるのか。宮平春子さんは、兄が命令した張本人だとされ、苦しんできました。兄の盛秀さんは当時、村の助役として軍との連絡役を務めていました。アメリカ軍が上陸すると、「軍から玉砕命令が出た」と住民に伝え、家族とともに自決しました。ところが戦後になって、軍の命令はなかったという証言が出ると、責任の全てが盛秀さんに押し付けられたのです。
宮平春子さん「自分が記憶に残っているのは、兄さんが壕に入って来て、『軍からの命令で、(米軍が)上陸するから玉砕しましょうね。命令が下っているから、一緒に死にましょうね』ということ。兄さんがまさか一個人でね、みんなに死になさいということはない。自分の子を大きく育てのも大変だったのに、自分で手をかけてね」
100人以上もの犠牲者を出した集団自決。そこに日本軍の命令や誘導があったのか、それともたった1人の有力者の判断だけで行われたのか、小さな島で様々な憶測をよびました。
宮城晴美さん「島の人たちが二分されてしまっているんですよね、結局加害者と被害者という形で。助役が命令したということになれば、軍隊の存在がそこから離されて、島の人間だけの問題として取り上げられる。それっておかしいですよ」
集団自決を巡り、論争が起こる中、宮城さんは裁判で、本に綴った母の証言は1つのエピソードに過ぎないと強調しました。宮城さん親子も、自分たちの証言が誤解や混乱を招いたと苦しんできたのです。
座間味島では元助役の妹・春子さんも裁判の様子を見守っていました。家族の名誉を回復したい、沖縄戦の実相を明らかにしたい、残された家族は強く願います。
宮平春子さん「嬉しいやらね、こういう風に証言してくれる人もいるし、ありがたいと思った。それまで罪をかぶされてきているでしょ。今後戦争が起こったら、そういう無残なことがあるよ。だからいつまでも、いつまでも戦争をなくして、平和でありたいということを証言して、教育に残したいわけ」
教科書検定問題が持ち上がったのを機に、集団自決が発生した座間味や渡嘉敷では戦後62年経ってはじめて戦争体験を語り始める人が出てきました。『事実を歪めるようなことは許せない』そんな思いからのようです。VTRで紹介した宮平春子さんもその1人です。
大江・岩波裁判は来月沖縄で開かれます。渡嘉敷島の集団自決の生き残りの男性(金城重明さん)が証人として出廷します。また、11月には大江健三郎さん本人も法廷に立つことが決まっています。
教科書問題、そして大江・岩波裁判。これらを通して、改めて沖縄戦とは何だったのか、そして軍隊とは何なのか、考えたいものです。